2005年07月
2005年07月30日
子供時代の友達
昨日は、神奈川方面の幾つかのマンションを実査した。移動中に「大江戸東京音頭」活動の仲間の田尻さんから携帯に電話が入る。おかみさん会会長の富永照子さんお会いし、リニューアルされた淺草花やしきのイベントステージで大江戸東京音頭を宣伝してはどうかという話しがあり見てきたという。みんなで交替で出かけて、踊って、遊んで、CDを売ろう。。。。と相変わらず元気です。
私も少し、プロモーション活動を。。。。と考えたら、生まれ育った三ノ輪の楽器やの息子、木下君を思い出し、移動中、携帯電話のタウンページで、彼の店を調べ電話する。とりあえず、「大江戸東京音頭」のホームページに曲も踊りもアップしていることを伝える。
彼とは中学校も高校も一緒だったけれど、一緒に遊んだりした記憶はない。あの年代は、お互いに意識しあってしまって、男の子と女の子が気軽に付き合うことはなかった。あれから45年である。
帰社すると彼から、ホームページを見たという電話が入っていたので、私も彼の店の三井屋楽器店のホームページを見てから電話した。私のブログも見てくれたようで、「来てうれし、帰ってもうれしいのが孫。。。。」に「うちも同じで、孫が三人。。。」だそうだ。
18歳の女の子の記憶しかないところに、いきなり、孫と一緒の63歳のおばあちゃんの写真である。さぞ、驚いただろうけれど、こうしてワンクッション置いてお会いすれば、ショックは少ない?
写真は納品された販売用CDです。8月3日発売、1,000円、カラオケ付です。レコード店になかったら、お店に、商品番号ASTY-1でダイキサンウンドに注文してもらってください。2〜3日で届くそうです。視聴はこちらで。
2005年07月26日
つくばエクスプレス試乗会
浅草のみなさんとつくばエクスプレス(TX)に試乗しました。16:06 浅草発(快速)→16:45 つくば着 17:09 つくば発→17:48 浅草着。車内アナウンスも時間も8月24日開通の正規ダイアに合わせての試運転です。快速で45分、各駅停車で57分。やはり、速い。
新線各駅の中で浅草駅だけだそうですが、駅構内が淺草!になっています。費用はTX持ちだそうですが、TXに対して、淺草の観光を強調することが新線の乗降客を増やすことに繋がる。。。。ことを訴え、アイディアを出し、働きかけ続けた淺草の熱意の成果でしょうか。
改札口への通路 改札口正面
エスカレーターサイドの壁
この絵のあるホームの上の淺草国際通りで、8月21日(日)11:30〜13:30大江戸ビートフェスティバルがあり、我が「大江戸東京音頭」が踊られます。この日は、まだ、つくばエクスプレスは開通していませが、開通したら、是非、一度、浅草駅を利用してみてください。
2005年07月25日
来てうれし、帰ってうれし。。。。
人は、「寂しくなりますね」というけれど、それは違う。ほっと、するというのが正直な気持ちだ。私は仕事があるから、娘たちにそうは付き合っていない。炊事、洗濯に手をかけたわけでもない。それでも、一人暮らしが長いから、家に自分以外の人がいることに慣れていない。。。。
娘夫婦のアメリカの家では、子供が起きている間はテレビを見ないという。子供には、いい番組を選んで1本だけ見せるという。確かに、4才の子供にテレビの画面は刺激が強い。ニュース番組だって見せていいものではない。しっかりと親をしている娘夫婦を頼もしく思うと同時に、若い者たちにとっての私は、子守も任せきれないおばあちゃんだということもわかった。
来てうれし、帰ってもうれしいのが孫。この1か月の思い出を楽しみながら、マイペースの日常を取り戻しましょう。
2005年07月23日
8月3日 CD発売!
大江戸東京音頭のCDをレコード会社から出してもらえなかったので、自費出版?することにしました。
作詞の西条八十の著作権が残っており、JASRACに著作権料を払うほか、西条八十がコロムビアの専属作詞家だったため、著作権存続期間は専属権も存続しているので、コロムビアに専属権開放料を支払うことになります。手続きのことを考え、CDのプレスはコロムビアに発注しました。
曲のタイトルは、配付版は「東京音頭」でしたが、発売版は踊りのビデオと同じく「東京音頭・平成版『大江戸東京音頭』」にしました。盆踊りバージョンができたので、同じタイトルでは混乱する。。。。ということで、西条八十氏の著作権を継承している西条八十氏の了解をいただきました。
流通は、所謂インディーズです。
ダイキサウンドという会社ですが、1曲ではここのコストを負担するのはきついので、ダイキさんのお取引のレーベルの口座をお借りすることになりました。
8月3日発売です。
レコード店で注文してください。
2005年07月17日
LANの調子が悪い
最近、サーバーにおいている共有フォルダにアクセスできないことが間々あったのだけれど、昨日あたりから、LANに繋がっている他のコンピューターも同じ症状が起きる。私のコンピューターがLANに繋がって作業していると、他のコンピューターに障害が出るらしい。仕方なく、私はLANケーブルを外して作業し、インターネットへのアクセスは他のコンピューターを使って用を足した。
社員が帰ってからLANケーブルを繋いだのだけれど、インターネットには繋がるが、共有フォルダーには繋がらない。。。。調子が悪くなるのは、ホームページを作ったり、画像を使ったデザインをしたり、共有フォルダに入っている画像を、私のコンピューターで処理する作業を頻繁にした後らしい。。。。
2005年07月16日
西新井大師風鈴まつり
今日は、娘母子に付き合って西新井大師の風鈴まつりに行きました。孫娘は、祭りの屋台が気に入ったようで、七夕まつりもほうずき市も風鈴まつりもみん「夏祭り行こう!」と言っています。
お大師様の風鈴まつりは、1ヶ月の滞在期間に、少しでもたくさん、日本の風物、習慣に触れさせて帰りたいと、娘がインターネットで調べたのです。私は知りませんでした。
お大師様の風鈴まつりは、人手もまばら、風鈴もそう多くはない。屋台も一品一店程度です。それでも、孫娘たちは、楽しみながらアメリカのおばあちゃんへのおみやげを選べましたし、屋台のかき氷ももう一度経験でき、日本の神様のおまいりもでき、十分にお祭り気分を楽しめ、お団子やさんが並ぶ門前町の雰囲気も十分。4才の子供には、ほうずき市の混雑よりよかったようです。
ばたばたしてブログを書かずに日が過ぎてしまい、写真を撮ることも忘れるようになったようです。さびしいので、どなたかの風鈴の写真を載せさせていただきました。
2005年07月11日
関東パドルテニス大会
中野区のパドルテニス協会の役員の方から、9月19日の日本レクレーション協会の大会のウェスカムイベントで、大江戸東京音頭を踊ってほしいという電話があった。東京が主催地区であり、東京らしいウェルカムイベントにしたいとインターネットで情報を集め、大江戸東京音頭のサイトにたどり着いたそうだ。ウェルカムイベントの演舞者は子供がいいという。大人でいいなら、いつでも協力できるのだけれど。。。。。
関東地区大会があるというので、中野体育館にコンピューター持参で出かけ、ロビーで役員のみなさんにお目にかかり、踊りも見ていただいた。パドルテニスは子供から高齢者までが楽しめるスポーツ。大江戸東京音頭も同じで、私たちの活動には賛同いただく。9月の全国大会までは忙しいが、それが済んだら、子供たちに広げる活動に協力くださるという。
2005年07月10日
ほうずき市の浅草寺
帰国中の娘は孫娘に、少しでもたくさん、日本文化を見せてあげようと、インターネットで情報を集めている。土曜日は、合羽橋の商店街の七夕まつりに出かけた。
合羽橋の七夕まつりは、観光名物とまではいっていないイベントのようだけれど、4才の孫娘には、七夕飾りも、屋台のお店も、大道芸人も日本のお祭り風景として新鮮に写ったらしい。
合羽橋の七夕まつりは、調理道具店街ではなく、昭和通りから浅草の国際通りにおよぶかっぱ橋本通りのお祭りで、平成元年に下町七夕まつりとして始まったそううようだ。浅草寺のほうづき市に繋がる流れになっており、夏の風物詩として町興しにに繋がる観光行事に成長中というところか。
私も半休をとって、浅草で娘たちに合流した。最近は、つくばエクスプレス開通イベントの件で、浅草に足を運ぶことが多かったのだけれど、平日ばかりだったから、こんなに賑やかな浅草にはちょっと驚いた。
最前列のお賽銭箱の前にたどり着くまで、けっこう時間がかった。幼い子どもだから、大きな大人ばかりの人ごみに埋もれて歩くのは、泣き出すのではないかとはらはらしたが、孫娘には、「日本の神様にお参りする」に強い興味があったようで、心配は無用だった。。。。。
2005年07月09日
七夕の願いごと
幼稚園に短期入園をさせてもらっている来日中の孫娘が七夕飾りを作って持ち帰った。我が家にこういうものが飾られたのは何年前だったろうか。
なす、トマト、スイカ、とうもろこしに、宇宙船が下げてある。4歳児だから、形を切った紙を糊つけしただけ、短冊の願いごとも、先生が書いてくれたようだ。孫の短冊には、「おほしさまとおはなしができるようになりますように」と書いてあった。初めて日本の幼稚園に通う孫娘に、七夕かざりを作りながら、先生はがどういうお話をしてくださったのだろうか。
娘のパートナーは、七夕の短冊に書かれた願いごとに、「字がきれいに書けるようになりますよう」が多いのが意外だったそうだ。そういえば、確かにそうだった。短冊には、字がきれいに。。。。。は定番の願いごとだったかもしれない。
アメリカ人は字をきれいに書くことにエネルギーを注ぐことはないようだ。アルファベットは文字数が少ないから、早くからタイプライターが行きわったせいだろうか。
という私も、最近は手書きの文書を書かなくなった。日本でも、コンピューターが普及すると、習字の習慣もなくなっていくのではないだろうか。
2005年07月08日
2005年07月06日
やっぱり、イラストレーターは難しい
最初、東京音頭のCDのプレスをお願いしたのは北海道の会社で、メールだけのやり取りだったのだけれど、今回は、コロムビアのプレス部門の方が来社された。
印刷物の経費を節約するために、バックインレイ(CDケースの底に入る印刷物)を作らないなら、3ピースのケースではなく、2ピースのケースでいいのではないかと見本を持ってきた。市販のCDは、アルバムの場合は3ピースのケースだけれど、シングルの場合は2ピースが普通だと言う。製造原価の差は僅かだけれど、薄くなる分、送料や在庫保管(売れずに返品されたとき私の部屋に置くことを考えると。。。)の経費は節約できるだろうということで、2ピースにすることにした。
2ピースケースのジャッケト(ケース表にいれる印刷物)のテンプレートをコロムビアさんのホームページからをダウンロードしてくれる。今のCDの盤面は白地に黒のスケッチ画と黒の文字の2色なのだけれど、市販用は区物しやすくするよう、色を入れたいと言ったら、これまた、同社のホームページで同社が使っているインクのカラー見本のページを教えてくれた。
メールだけでなく来ていただいて教えてもらうと助かるなぁ。。。と思うけれど、その分はプレス代に反映されるということだろう。
CDの盤面はジャケットの原稿は、イラストレーターで作ったもの納める条件だったので、前回は、イラストレーターのソフトを買って、自分で、CDの盤面とジャケットのデザインをした。今回も、何とかやれるだろうかと2ピース用のテンプレートに挑戦してみたが、わからなかった。確か、9万円くらいしたソフト、簡単に素人が使いこなせるはずはない。
とりあえずは、ホームページビルダーのウェブアートデザイナーを起動し、CD盤面の色を、コロムビアさんのホームページの色で変えてみたりしてみる。。。。。
2005年07月04日
少々時間をくださいの少々はどのくらい?
大江戸東京音頭の販売用のCDを作ることにした。紹介された3社のインディーズのうち、まず、幅広い音楽を扱うという流通会社1社に問い合わせることにした。ホームページによると、問い合わせはメールになっていたので、メールしたが連絡がなかった。
ロック系の音楽が専門という会社のホームページに代表電話の記載のあったので電話した。資本金7億の会社だったので、大きな組織では決済に時間がかかるかと思ったが、実に、スピーディだった。
○月曜日に代表電話にかける。直ぐに、担当部署につながる。
○電話では説明されず、新規取引申込み書と説明文がファックスでとどく。
○申込書を書き、説明書に記載のあった必要書類とサンプルのCD、ビデオを添えて、翌日10時着便で郵送し、その旨メールする。
○火曜日深夜新規取引レーベルの審査会議があるので、10時着便で届くなら審査できるので、水曜日に結論が出るというメールが即く。
○水曜は当社の定休日だったので午後出勤しメールを確認する。
同社と取引するには月額15000円のソフトを使う条件がある。1曲だけの流通ではコストがかかるから、同社と取引のあるレーベルの口座を借りることを提案される。
○製作経費、専属権・著作権関係費用、流通マージンを計算すると完売しても数パーセントしか粗利益がないことになる。他の方法がないかと迷い、金曜日の昼に、同社の提案を受け、レーベルを紹介してくれるようお願いするメールを送る。
○心当たりを2,3あたるので少々時間をくださいというメールが届く。
○夕方、某レーベルと話がついたので、同社に送った資料をそちらに送った。来週、先方から連絡があるだろうが、私からも先方に連絡してほしい、というメールが届く。
「少々時間をください」というのは、2、3日だろうと思っていたら、ほんの2、3時間だったらしい。
それがロック世代のビジネスのリズムということか。。。。
CDの販売は、まだ、決まったわけではないけれど、私たちの世代のビジネスのリズムと比べてしまう。
2005年07月02日
株式会社ウェスタ創業十周年感謝のつどい
6月28日に明治記念館で、当社の創業十周年感謝のつどいを催しました。10年前、55歳の定年を2年残し、55歳でリタイアできない状況なら、自分の仕事場は自分で作ろう。一足先に独立し、定年になった職場の仲間に来て貰おう。。。。。と会社を創っただけで、経営者になるという意識はありませんでした。
この10年、会社を大きくすることなど考えず、ご縁をいただいた仕事に真面目に取り組んきましたが、社員も増え、経営者としての社会的責任も重くなっています。多くの方に祝っていただけましたが、私自身は、これからが大変だ。。。。と身の引き締まる思いです。
7月1日から、11期がスタートしました。会社が存続させ続けるためには、世代交代を視野に入れ、若い世代がのびのびと力を発揮できる職場を目ざします。しかしながら、一方では、不動産業は生活経験が生かせる仕事。高齢化時代、長生きするのは女性たち。女性の視点に立った不動産屋が求められる時代でもある。不動産営業ウーマンに年齢制限はない。。。。。で、私と同年代の社員も現役で活躍できる職場です。