2006年04月

2006年04月30日

豊里の杜フェスタスタート

ld 4月29日から5月7日まで豊里の杜フェスタです。ドックラン、ワンちゃんの爪きりサービス、園芸教室、スタンプラリー等、盛りだくさんのイベントが企画されています。販売促進活動の一環なのですが、ゴールデンウィーク定例の楽しいイベントとして、≪豊里の杜≫の入居舎の皆様にも喜んでいただいています。

 ≪豊里の杜≫で当社が販売代理している事業主NIPPOコープレーションののオリジナル住宅グラチアです。フェスタに合わせ、こもれびの街ベルウェスト街区ビオトープフロントラディアンピア街区に続きプレステージ街区を新発売します。携帯カメラでいい写真が撮れていないのが残念ですが、広い宅地にワンランク上の建物です。
 グラチアのモデルハウスのカーテン、家具、照明等のコーディネートは当社にお任せいただいています。マンションのモデルルームと違い少ない予算でやりくりしていますが、プレステージのコーディネートもなかなかいいです。


2006年04月29日

高木 由紀子 展

31a5392c.jpg 夫君(NPOの世話人仲間の一級建築士)のお誘いで、銀座の新井画廊で開かれた高木由紀子さんの個展に行きました。略歴には1965年芸大卒とあります。ここ10年、ということは50代になってからは隔年で個展を開いているようです。子育てを終えて絵を描く余裕ができ、姑を見送って更に自由になり、静かに穏やかに絵を描く時間を増やしていかれたようです。

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2006年04月28日

シニアハウスいきいき舎

60532306.JPG 松戸市常盤平に完成した高齢者用賃貸住宅を見学してきました。新京成線派柱駅徒歩7分です。一般賃貸マンションとして建設する予定だったものを、通所介護、訪問介護事業の株式会社いきいき舎代表取締役稲田幾子さんの強い熱意で地主に働きかけ、高齢者向けに変更したそうです。間もなく、同舎事務所も1階に引っ越してくるそうですから、介護サービスの点では心配はないでしょう。それでも、居室16戸中入居が決まったのは2戸のみです。お金がかかるからと不動産業者とは相談して来なかったようです。高齢者住宅の場合は満室になるのに、2年くらいかかっているようです。

2006年04月27日

「コーチング」で総会審議?

b970ddc3.jpg 東京同友会杉並支部の総会がありました。事業方針、事業改革の審議がユニークでした。コーチ・セブンピース代表の谷口貴彦(会員)が議長に代わり、5〜6人×7のグループで会議の進め方のコーチイング(アメリカ生まれの社員教育法)を受けるかたちで進められました。

始めに、会のあるべき姿を現した言葉を30以上あげる。
それを3つくらいに絞る。
その言葉の持つ意味を表す短い文章をつくる。
メンバーは各テーブルから出された7つから3つを選ぶ。
一番得票の多い文章が会のビジョンとなる。

ビジョンが決まったところで、例会のテーマを最低30以上あげる。
それを5つに絞る。
合計35の中から各自が3つ選ぶ。
得票数の多いものから10テーマを決める。

 否定発言をせず、Yes, And で進めるやり方も、時間を区切るやり方も、全員参加の審議も、決まった結果も妥当なのだと思うのですが、やっぱり、コーチングには馴染めませんでした。






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2006年04月26日

広野道子さんのマネジメント

55e1f7b3.JPG 中小企業家同友会女性部総会後、株式会社21LADYの代表取締役広野道子さんの講演会がありました。株式会社21LADYの子会社である、焼きたて・詰めたてシュークリーム専門店「シューファクトリー」運営する株式会社リテイルネットの社長、民事再生手続中だった洋菓子のヒロタの社長、25%出資している英国式パブ「HUB」を運営する株式会社パブの社外取締役でもあります。株式会社21LADYを創業する前は、FC専門マーケティングの会社でDPE、カフェなど、ベンチャーキャピタルではタリーズコーヒーや大戸屋の展開を経験しています。バリバリのビジネスウーマン登場のせいか、女性部総会ですが男性の会員の参加が多かったようです。
 

2006年04月25日

パソコンを使って元気に稼ぐ上勝町のお年寄り

1a88fb7f.JPG Micosoft NPO DAYで紹介されたおばあちゃんのIT活用成功事例です。テレビでも紹介されていました。
 上勝町は人口2136人、高齢化率46%、65歳以上の高齢者991人、内寝たきり老人2人、第3セクター5社中4社が黒字経営、その1社株式会社いろどりが元気なお年寄りが主役の会社です。

 木材の低迷、大寒波でみかんの枯死で、「このままでは町が衰退する」と農協職員の主導でしいたけ、たらの芽、キウイフルーツなどに挑戦、その過程で料理屋のつまものとして葉っぱの需要があることを知り、昭和61年に数件の農家の協力で出荷をはじめ、料亭に足しげく通って、大きさ、色、形を研究し、徐々に、葉っぱを商品に仕上げ、現在は3億になっているそうです。

 その成長の要因のひとつは町の情報システム、防災無線と家庭用ファックスで134世帯の農家に注文情報をいっせいに流す。出荷に応じられる農家はパソコンで返答する。商品は先着順で受け付けられ出荷される。必要なものを必要なときに必要な分だけ提供できる仕組みができているという。

 もうひとつの成功の要因はお年寄り農家の活躍です。つまもの生産に関わる農家の5割が60歳以上、その中心が女性で、この人たちがとにかく元気なのだそうです。単に注文に応じて出荷するだけではなく、パソコンを操作してネットワークシステムから売行き状況を把握し、自分なりの販売動向予測をして生産をしている。更に、山にある葉っぱを摘むだけだったものが、原料となる植物を畑やビニールハウスで栽培するようになり、出荷品目も300種類を超えるようになったそうです。
 競争原理も導入され、パソコンでは「あなたの売上は134人中何位です。」という表示がされ、結果、月100万円稼ぐお年よりも珍しくないのだそうです。

おばさんパソコン

2006年04月24日

しっぽのある姉と妹たち

ペリラ 郡司ななえさんの3頭目の盲導犬ペリラです。1頭目はベルナ、2等目はガーランドです。
 ななえさんが全盲になったのは27歳、絶望されそうですが、夫君(全盲)と結婚し、「自分の手で子供を育てたい。」とベルナを迎え、3頭の盲導犬に支えられて今があるのだそうです。

 ご子息幹太君(現在23歳)の「ボクとしっぽのある姉と妹」には、既に家族の一員だったベルナにとって生まれてきた赤ん坊の僕の存在は困惑だったろうけれど、いつしか弟として受け入れられ、ベルナはそのやさしさで僕を育ててくれた。。。。とあります。ベルナが高齢になり全盲になった時、小学生の幹太君は「今度は僕がベルナの目になる」と言ったそうで、家族の一員として自宅でベルナを看取ったそうです。その悲しみの中で夫君を亡くし、2頭目のガーランドも1年数ヶ月で亡くなり、3頭目のペリラの無邪気さに慰められて乗り越え今日があるそうです。

 絵本のベルナシリーズは全5巻童話は全3巻単行本は2冊、昨年は映画もでき、今秋一般公開されます

 日本では盲導犬が役目を果たせなくなると飼い主は新しい盲導犬を迎え、前の盲導犬は手放すシステムになっており、ベルナとガーランドを手放さずに自宅で看取ったことが感動の物語になっています。実際に、ななえさん母子とベルナのお話には感動するのですが、若しかしたら、盲導犬の社会への浸透が浅い日本的な事象なのかもしれません。

 私の長女の義姉(アメリカ人)も全盲で、2頭目の盲導犬に支えられて生活しています。1頭目の盲導犬が高齢になり、車のライトを怖がるため盲導犬としての役目を果たせなくなったのです。長女の義姉の家ではリタイアした盲導犬も現役の盲導犬も一緒に穏やに暮らしています。

2006年04月23日

大型ブラウン管テレビでミニセミナー

 知人の女性が事業提案をする集まりに参加しました。主催者と私たちの他は今日の企画に協力を期待できそうな業種のみなさんです。

 会議室のテーブルの上に、奥行きが深く画面が40インチ以上ありそうな大きなテレビが置いてあります。旧式のブラウン管テレビにB5サイズのノートパソコンをつないでいます。「テレビなら何処の家にもあるので、プロジェクターを持ち歩かなくてもいい」ということでした。

 参加者同士は初対面が多いようで各自の会社のホームページをブラウン管に写しながら自己紹介をしました。ほんの数分前に主催者と名刺交換したのですが、画面には当社の名前もあり、ホームページがリンクされていました。

 レトロなブラウン管テレビとビジネスライクな進行がなんともミスマッチですが、最新の機器で装備した主催者より、信頼できそうなのは何故でしょうか。
残念!テレビを撮っていませんでした。

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2006年04月22日

渡邊奈央さんのコーナーで大江戸東京音頭がオンエア

奈央 大江戸東京音頭の掲示板FMNack5で大江戸東京音頭をオンエアするという事前報告の書き込みがされました。アメリカDOMOレコード日本プロダクションDIAA所属のアーティスト「渡辺奈央」さんのトーク番組で、毎週一曲推薦の曲をかけるその一曲に大江戸東京音頭が選ばれたというお知らせです。渡邉奈央さんは大江戸東京音頭を歌っている吉田昌紀子さんが奈央さんと同じDOMOの吉田兄弟の兄良一郎氏夫人だとは知らずに選んでくださったのだそうです。

 何処で大江戸東京音頭をお知りになったのかというとMF247だそうです。そして私がmf247を知ったのは、私に「ホームページは社長自らが作って頻繁に更新するものだ」とホームページビルダーを使ってホームページを作ることを教えてくださった萩原先生のブログmf247のオープンのことが書かれてあっです。萩原先生はご自分の詩吟をアップするおっしゃっていらしたので、それなら、大江戸東京音頭をやってみようと思い立ち、どういう構造のサイトか掴めないまま挑戦し、音楽ファイルをMP3にという意味も理解できず、加えて作詞の西條八十氏の著作権、専属権のこともあり、たいへんな時間を費やしてようやくアップしたものです。
 そうやって参加したサイトが、今ベストセラーの「ウェブ進化論」に市民参加型の百科事典Wikipediaと同じ流れのアーティスト参加型の音楽配信サイトとして取り上げられていることを知り、「還暦過ぎたおばさんにしては、私って結構先端をいってる?」と萩原先生に感謝していたところでしたが、mf247は音楽関係者にも注目されるサイトだったようです。
 FMNack5のオンエアは4月25日火曜日の21時40分から50分ぐらいだそうです。
 写真は渡邊奈央さんです。渡邊奈央さんのサイトからいただきました。
  

2006年04月21日

Microfoft NPO DAY

12a259f4.JPG 今日は10:00から17:30まで、MicrofoftのNPO DAYに参加してきました。アジアでは8回目、日本では初めてだそうです。

 「ビルゲイツの講演もある」というので野次馬気分で参加を申し込んだのですが、その後、梅田望夫「ウェブ進化論」を読みました。ビルゲイツより5才年下だという筆者は、グーグルとマイクロソフトの違い、つまり、個人が好きなだけパソコンを自由に使える世界に感動したマイクロソフトのビルゲイツとマイクロソフトができたときにはまだ2歳で、パソコンは当たり前の社会で育ち、インターネットの世界の向こう側に人と情報の無限の世界があることに感動したグーグルの二人の創始者、ラリー・ペイジとセルゲイ・プリンを比べ、こちら側の世界に拘るビルゲイツを「ゲイツも歳とったなぁ」とか「ゲイツの世代的限界が露呈された」とかまで書いているのです。グーグルのWikipediaに参加して感動した私としては、申し込んだ時点とは違う意味で、ビルゲイツに興味を持ち、「Microsoft NPO DAY]」参加の抽選にパスできたことを喜んで参加させていただきました。

 結論としては、ゲイツ氏も年を取られたのは確かなのでしょう。パソコンを自由に使える世界で育った幸運で得られた富で、パソコンを使うチャンスもない世界にいる人たちを支援したい。エイズもワクチンも地震もハリケーンも。。。。直接支援もするけれど、支援活動をする人たち(NPO)に効率よい活動ができるようパソコン操作技術を広めていこう。NPOブループと連携し、意見交換をしながら効率よく活動できるソフトも開発しよう。と、インターネットのこちら側で、人と人との関係に基軸を置いています。
 顔の見えない無限大の人々への信頼から成り立つあちら側の世界も、パソコンの普及なしには無限大は有り得ないわけで、功成り名を遂げたゲイツさんがNPOのヒューマンネットワークを使ってパソコン(Windows)の普及に力を入れるのは歓迎されていいのではないでしょうか。

 

 


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2006年04月19日

第4回つくばエキスプレス沿線サミット

85f97d74.JPG 第四回のつくばエクスプレス沿線サミットが守谷市のアサヒビール茨城工場で開催されました。

 首都圏新都市鉄道株式会社の経営企画部長の基調講演によると乗降客も沿線の住宅開発も順調のようです。電車内の無線LAN導入の準備も外部の固定インフラは終わり、電車内でパソコンが使えるようになるという話もされていました。当分満員電車にはならない。満員にしなくても採算が取れるということでしょうか。

 TX沿線サミットは、TX開通前に第1回を浅草、第2回をつくば市、開業の年に第3回を浅草、そして開業後の初めての第4回サミットが守谷市ということになります。浅草女将さん会会長の冨永照子さんの発案と強いリーダーシップで「沿線のまちが一緒に元気になろう」という活動が続けられています。
 
 アサヒビール展望接待館での懇親会では、ビール酵母で味をつけた合鴨、ポークジャーキーで出来立ての生ビールをいただき、守谷駅の「守谷スイーツ&物産館」では、「守谷さんちの牛乳」で作ったソフトクリームをいただき、東京から移り住んだシェフの競演によるスイーツの中から、沿線サミットに合わせて新発売したというチーズケーをお土産に買い求めて帰りました。

 ソフトクリームは「ミルク工房もりや」と「守谷スタイル」との共同開発商品第1号だそうです。おいしいです。守谷に行くことがあったら、是非、ご賞味ください。

2006年04月18日

開東閣園遊会

eb939250.JPG 高輪の開東閣で催された東京商工会議所の園遊会がありました。役員の交流会なのですが、東商女性会は一般会員も招待されています。
 開東閣は、明治33年に岩崎弥之助伊藤博文の邸宅地を購入し、明治41年に完成した洋館で、昭和13年に迎賓館として三菱社に提供されています。太平洋戦争で内部は焼失してしまいましたが外観を原型のまま残して修復され、会員企業以外は非公開となっています。
 内部はきれいですが外観はずいぶんと汚れています。痛んでもいるようで、一部、石を貼り替えたところが目だってしまって残念です。

ジャイナ教 場違いの写真はインドのジャイナ教の聖人の像です。開東閣の外観の汚れにインドで見た石造りの寺院や建築物を連想し、その中で唯一きれいだったこの像が、何十年かに1回、牛乳で洗うのだというガイドの説明を思い出しました。
現代の建築技術で古い石造りの建築物をなんとかきれいに維持できないものでしょうか。

写真はインド写真館からお借りしました。下の方が汚れていますが、私が見たのは十数年前、牛乳で洗った翌々年あたりでもっときれいでした。

 ジャイナ教は仏教と同じ頃生まれた宗教で、物欲を禁じており、この像は、衣類を纏うこともせず立つ修行をする聖者の体に蔦が絡まっている聖人像なのだそうです。私たちの感覚では、厳しい修行を連想しにくい大らかな像ですが、自身がジャイナ教のガイドさんによると、「信者数は少ないが、厳しく自己訓練されているので、インドの商業界で活躍している信徒が多い」ということでした。

2006年04月17日

日本語版は4月9日UTC、20万項目を達成しました。

886f744e.jpg このブログを書くときに知識を確認したり、リンクを貼るために「検索」をしていますと、けっこう上位に、WikiPedia が出てきています。何度が利用しているうちに、これがユーザーみんなで作る市民参加型の百科事典だと分かりました。そのときは、特別な知識のない私ですから、百科事典編纂に参加しようなどとは露ほども思わなかったのですが、ある時、「東京音頭」を検索ましたら、 丸の内音頭がヤクルトスワローズの応援歌になってことまでの記述のあと、ヤクルトの応援歌という項目で追記があったものですから、それならと私も、と若干どきどきしながら参加登録し、「東京音頭・平成版 大江戸東京音頭の項目を立てて、追記をしてみました。
 時代のトップクラスの知の集団が一大事業として年月をかけて編纂してきたものを一市民が参加できる。こういうフリー百貨事典が英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語。。。。と、地球規模で作られる。若しかして、こういうことが世界平和につながるのではないか。衆愚と言われるものも含んだ膨大なデーターが、問題解決の手がかりになるのではないか、って、少々、興奮したものです。
 あの時時は17万か18万項目くらいだったものが、ほんの2,3ヶ月で20万語を超えたようです。
 Wikipediamf247への参加を経験し、筑摩新書の「ウェブ進化論」を読み、東京音頭のお陰で新しい流れを体験しているのだなぁ。。。と感じています。

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2006年04月16日

日本で暮らすインド人

NIKKEI 月1回、日経新聞と一緒に配達される THE NIKKEI MAGAZINE に「西葛西インドン人街」の自然な共存、という記事がありました。
 写真は西葛西駅近くのインド料理店「スパイスマジクカルカッタ」の休憩時間です。

 「80年代末でも4家族前後だったのが、2000年前後、IT分野で協力推進が合意され、大手町のビジネス街に通勤しやすく、民間住宅よりハードルが低い公団住宅の集まる西葛西にインド人が増え始め、今は900人前後が江戸川区内に住んでいる。『今、葛西はインド人街』と取り上げられるが、中華街やコリアンタウンを連想されると少し違う。インド人同士の連絡は電子メール、ネット経由でインド発の映画やテレビを見る彼らの生活では、『いかにも』なインド人街は必要とせず、目指すは自然な共存。様々な外国人と街を分かち合うことが予想される未来の日本のために、西葛西で蓄積されつつある経験と教訓は大きな意味を持る」
 とあります。

 この記事の写真とジローの後の居酒屋ビルの1階にできた、インド&パキスタン料理のシディークのお店の皆さんが重なります。ナンを焼いている間に交わしたスタッフ日本語がとてもきれいなのです。

 そのきれいな日本語に、十数年前、フォスターチャイルドに会いに南インドの村に行ったことを思い出しました。チャイルドに会って、直ぐに村を出る予定が、私の歓迎のために近隣の村からも大勢集まってくれていたため、私と息子だけが私のチャイルドの村の小学校に残り、次の訪問先からガイドが戻って来てくれるまで、何とか時間を過ごさなくてはならなくなったのです。子供たちの歓迎の歌のお返しに「さくら、さくら」を歌ったら、オウム返しに子供たちが「さくらぁ」と歌い返してくれ、さくら、さくらの大合唱になり、次に思いついて「結んで開いて」をやったらこれも大うけで、ガイドが戻って来るまでインドの子供たちと遊んだのです。
 あの時、口移しで歌ってくれた子供たちの日本語の発音もとてもきれいでした。きれいな日本語の発音は、耳のよさもあるのでしょうけれど、異文化をそのまま向けとめる素直さ、柔軟さなのではないでしょうか。



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2006年04月15日

ジローが居酒屋ビルに

b68d38fa.JPG 当社の隣の隣のビルがまた居酒屋ビルになりました。開店サービスがあるのでしょうか、予約なしでは入れないほど混雑しています。

 ここはジローのビルで、ケーキ、喫茶、イタリアン、しゃぶしゃぶなどあり、つい最近、リニューアルしたのですが、客足が回復しなかったのでしょう。
 飽食の時代、安くてもイタリアンはしっかりとイタリアンでなければ駄目、安いからと言ってしゃぶしゃぶ以外のサイドメニューを手抜きしたらだめ、中途半端なレベルのケーキを食べて太りたくない。。。。等々で、安い上にメニューの豊富な居酒屋チェーンには勝てないのでしょう。

 四十数年前、ここでデートしたことがありますす。地下でフラメンコをやっていました。大学生と高校生のデートでしたから、アルコールはいただいていない。食事をしたという記憶も曖昧です。当時は「フラメンコ喫茶」なんていうのがあったのかもしれません。
 ウィーンの建物をイメージした音楽喫茶が外観そのまま居酒屋ビルになったように、また、昔の思い出が消えていきます。