2010年01月
2010年01月26日
新春浅草歌舞伎千秋楽
新春浅草歌舞伎の千秋楽公演に行ってきました。
1月2日から25日間の公演はほとんど満席だったようです。歌舞伎座の建替で今の歌舞伎座での歌舞伎は見納だからと切符も買えない大人気の波が浅草にも及んでいるのでしょう。
市川亀治郎、中村勘太郎、中村七之助という若手の人気もあるでしょう。
でも、着実に浅草新春歌舞伎が定着しているようです。
上演中の写真撮影はまずいかなと思いながらまだざわついていたので1枚撮らせてもらいました。2階席からです。1階席より大分お安い席ですが全体がよく見えて悪くないです。
右は2階席休憩所から見える浅草寺です。何度も浅草に来ていますが、浅草寺をこの角度で見るのは初めてです。浅草でお芝居を観たと実感できる眺めです。浅草公会堂は2階席がお薦めです。
1月2日から25日間の公演はほとんど満席だったようです。歌舞伎座の建替で今の歌舞伎座での歌舞伎は見納だからと切符も買えない大人気の波が浅草にも及んでいるのでしょう。
市川亀治郎、中村勘太郎、中村七之助という若手の人気もあるでしょう。
でも、着実に浅草新春歌舞伎が定着しているようです。
上演中の写真撮影はまずいかなと思いながらまだざわついていたので1枚撮らせてもらいました。2階席からです。1階席より大分お安い席ですが全体がよく見えて悪くないです。
右は2階席休憩所から見える浅草寺です。何度も浅草に来ていますが、浅草寺をこの角度で見るのは初めてです。浅草でお芝居を観たと実感できる眺めです。浅草公会堂は2階席がお薦めです。
2010年01月21日
CUC(クック、兌換ペソ)とMN(モネダナショナル、人民ペソ)
観光地内のちょっとの移動には三輪バイクタクシーが便利です。割り増しすればクラッシクカーのタクシーもあります。
黄色が外国人用のタクシー、ブルーがキューバ人用のタクシーです。黄色のタクシーは外国人用通貨のCUC(クックまたはセウセ、兌換ペソ)、ブルーのタクシーは外貨と交換できないキューバ人用の通貨MN(モネダナショナル、人民ペソ)で払います。CUCとMNの交換レートは1CUC=24MNで、外国人でもCUCをMNに変更できますが、ブルーのタクシーに外国人を載せることは禁じられています。
キューバの永住権を持っている友人はブルーに乗れるのですが、外国人と一緒の場合は黄色です。アジア系のキューバ人がほとんどいないので、彼女はひとりで乗るときもカルネ(永住権を取得すると得られる身分証明書)の提示を求められるそうです。
サンティアゴで空港からリゾートホテルに行くとき、黄色のタクシーがなくなり、個人タクシーの免許を持った普通の自動車(メーターがない)を利用しました。外国人用の免許ではなかったようで、運転手は空港の警察官に友人がカルネを持っていること、同乗者は彼女の友人であることを説明することに時間を取られていましたし、途中でも2回止めらてれ運転手も友人も証明書のチェックを受けました。
タクシーと違い汽車、飛行機の場合は、あらかじめキューバ人用の座席枠が用意され、CUC価格とキューバ人のMN価格があります。
ハバナからサンティアゴ デ クーパへの移動の際、友人夫妻はMNで買える航空券がとれず、友人は私と一緒にCUCで購入し、夫君は後日、空港でキャンセル待ちしてMNの航空券でサンティアゴに来ました。観光優先で事前予約のキューバ人枠は少なく抑えていますが当日売りならMNでも無理なく乗れたようです。
夫婦が一緒に年越しができなくなったら申し訳ないとハラハラしましたが、妻の日本での収入に甘えず、自身の大学の給料で暮らそうという夫君の拘りには好感を持ちました。
2010年01月20日
200億円を超す建設費をかけて市立病院を新築する是非を住民投票で!!
標題の署名活動が本格的にスタートしました。
1月16日、友人に誘われ住民投票をするための条例制定を要求する決起集会に参加しました。司会は民主党の県議会議員、市議会議員はたった5人、自民党議員もいましたが社民党はいませんでした。
友人は医療行政にも病院経営にも詳しく、
「病院経営は箱物ではなく医者と看護師を確保できるか否かだ。現状でも松戸市立病院は医者も看護師も足りていない。医者が足らないと売上げも上がらず赤字。こんな状況で、病院を移転、新築しても赤字が増えるだけ。必要な医者を確保できたとしても、新しい市民病院の事業計画書の稼働率は通常ではあり得ないものであり、掲げられた数字は辻褄あわせしただけで根拠がない。新たに病院を建てることは膨大な赤字を抱えることになる。今の市民病院の耐震性に問題のある棟だけ建替えるなり補強すればいい。」
と言います。
市議会で議決したしたのは用地の購入だけ、200億円という病院建設の予算は3月市議会で審議されるのですが、市は市立病院移転が正式決定したかのように広報しています。市民のほとんどが移転は決定済みのことと思っていますが、今からでもストップできるとわかれば、取り敢えずストップをかけて考えよう思うでしょう。
署名活動は2月15日まです。この間に最低8,000名の署名を集めねばなりません。署名受け人は既に500人届出済だそうですから、8,000人は楽勝なのでしょうけれど、8,000集めても市議会が無視することもできるそうです。議会が無視できないよう圧力をかけるために2万でも3万でも集めよう!と呼びかけていました。
署名受け人になって書名を集めようという方は「住民投票を実現する会」にご連絡ください。
署名をされたい方は街頭活動に参加されたい方は下のスケジュール表をご覧にください。
1月16日、友人に誘われ住民投票をするための条例制定を要求する決起集会に参加しました。司会は民主党の県議会議員、市議会議員はたった5人、自民党議員もいましたが社民党はいませんでした。
友人は医療行政にも病院経営にも詳しく、
「病院経営は箱物ではなく医者と看護師を確保できるか否かだ。現状でも松戸市立病院は医者も看護師も足りていない。医者が足らないと売上げも上がらず赤字。こんな状況で、病院を移転、新築しても赤字が増えるだけ。必要な医者を確保できたとしても、新しい市民病院の事業計画書の稼働率は通常ではあり得ないものであり、掲げられた数字は辻褄あわせしただけで根拠がない。新たに病院を建てることは膨大な赤字を抱えることになる。今の市民病院の耐震性に問題のある棟だけ建替えるなり補強すればいい。」
と言います。
市議会で議決したしたのは用地の購入だけ、200億円という病院建設の予算は3月市議会で審議されるのですが、市は市立病院移転が正式決定したかのように広報しています。市民のほとんどが移転は決定済みのことと思っていますが、今からでもストップできるとわかれば、取り敢えずストップをかけて考えよう思うでしょう。
署名活動は2月15日まです。この間に最低8,000名の署名を集めねばなりません。署名受け人は既に500人届出済だそうですから、8,000人は楽勝なのでしょうけれど、8,000集めても市議会が無視することもできるそうです。議会が無視できないよう圧力をかけるために2万でも3万でも集めよう!と呼びかけていました。
署名受け人になって書名を集めようという方は「住民投票を実現する会」にご連絡ください。
署名をされたい方は街頭活動に参加されたい方は下のスケジュール表をご覧にください。
2010年01月17日
Comite de Defensa Revolucion=革命防衛委員会
ハバナ・ビエハ(旧ハバナ)の観光のメッカ、オビスポ通りのMuseo(博物館)です。こういうのもMuseoというのでしょうか、キューバのコミュニティ組織CDR(Comite de Defensa Revolucion)を紹介する展示館です。最近できたようでガイドブックには載っていません。
キューバに住む友人は、
「革命防衛委員会と訳されていることもあり日本ではCDRを誤解している。是非、事実を知ってほしい。」
と言っていました。
左はCDRをイメージする壁画、右は各コミュニティに置かれたCDR事務所です。
左は食料配給所です。ここに住民への告知物が掲示されます。
日本でも戦後の一時期まで配給制度があったことを思い出します。米穀通帳がないとお米が買えないので、林間学校や修学旅行では晒し木綿の袋にお米を入れて持って行って旅館で調理してもらいました。結婚して住民票を移すときには、もう米穀通帳の移動手続は必要ないんだ。。。と思ったことを覚えています。小学校卒業は1955年、結婚は1963年です。
右は医者の住まいです。コミュニティには必ず医者の住まいが用意され医者が地域住民と一緒に暮らしています。
ハリケーンで死者が出ないのもこのCDRが重要な役割を果たしているようです。CDR毎に医師が住んでいるのでCDRは妊産婦や高齢者など優先的に避難させる必要のある住民を把握しており、災害時には優先的に弱者を避難させ、避難所には医師もいることになります。
掲載されていたデータです。
キューバの人口は約1,100万人です。CDRが138,000あるということはCDRが受け持つのは平均80人というコミュニティ規模になります。一世帯2人としても40世帯です。こんな小さな単位に医者を配置し、共に暮らしながら地域住民の健康管理をしていることになります。単位が違ったかと計算しなおしてみました。人口当たりの医者の数が世界一多い国だというのも納得です。ちなみに、人口あたりの楽器の数が世界一多いのもキューバだそうです。
「CDRは日本の戦時中の隣組(となりぐみ)のようなものかな」
と言ったら、友人は
「CDRは日本の隣組とは違う!」
と強く否定しました。隣組というと言葉は柔らかいですし、国民唱歌隣組の歌のように明るく助け合うものとして定着させましたが、実際には、戦意向上、反戦思想摘発、銃後の防衛の役割を担っていました。彼女はCDRにはそういう役割はないと言います。
「Comite de Defensa Revolucion」という名称から考えれば、日本の隣組のような思想統一の役割をもっていた時期があったのでしょうし、政情によってはそうなり得る組織ではあるけれど、今のキューバのCDRは津々浦々まで行き渡ったキューバ独特の町内会組織と言っていいようです。
尚、外務省のホームページに掲載された在キューバ日本大使館のCDRについてのコメントは社会主義国体制下の相互監視システムなので要注意となっています。
たくさんの人がキューバ観光を楽しんでいるヨーロッパの国々のホームページにはキューバについてどう記載されているのでしょうか。キューバに関しても日本はアメリカに追従しているのではないでしょうか。
2010年01月15日
フランス語ガイドでサンティアゴ デ クーパ市内見学
ホテルの市内見学半日コースのオプションツアーに参加しました。フランス語のガイドでした。英語だってほとんど分からないのですから何語だって同じでしょう。説明がほしいところは改めて友人に案内してもらうことにし取り合えずさっとサンティアゴ デ クーパ市内巡りです。
キューバでは犬は繋がれていません。狂犬病は克服しているようです。繋がれていないとストレスがないのか吼えることもないみたいです。
犬も、猫も、牛も、豚も、鶏も白人も黒人もムラート(混血)もみんなお互いを尊重して自分らしく暮らしてしているって感じです。
市内中心部には修理されていない住宅が目立ちます。それでも持ち家比率8割を超えているそうです。
錨のようなマークは民宿の印です。若者たちはこんな民宿で安価な旅行を楽しんでいるようです。
キューバでは犬は繋がれていません。狂犬病は克服しているようです。繋がれていないとストレスがないのか吼えることもないみたいです。
犬も、猫も、牛も、豚も、鶏も白人も黒人もムラート(混血)もみんなお互いを尊重して自分らしく暮らしてしているって感じです。
市内中心部には修理されていない住宅が目立ちます。それでも持ち家比率8割を超えているそうです。
錨のようなマークは民宿の印です。若者たちはこんな民宿で安価な旅行を楽しんでいるようです。
モンガタ兵舎の襲撃の銃弾の跡
1953年7月26日にフィデル・カストロやラウル・カストロたち160人がサンティアゴデクーバのモンカダ兵舎を襲撃し武装闘争をスタートさせたのがキューバ革命の始まりです。
この蜂起は失敗しフィデルカストロは逮捕されますがその後釈放されメキシコに亡命。56年にチェ・ゲバラらとキューバ国内に潜入しゲリラ戦を展開、59年1月、バティスタ政権を崩壊させます。7月26日は革命記念日になっています。
このささやかな銃弾跡に日露戦争に勝利した二百三高知のトーチカの無数の銃弾跡を思わずにはいられません。ロシア兵が銃を向けて待ち構えている長いトーチカの前を走らされ、第3回総攻撃だけで戦死4,958名、負傷者11,584名を出しています。
日露戦争勝利に日本中が沸き立ち、二百三高地の絶壁のように前髪を高く結う「二百三高地」と髪型まで大流行します。あの絶壁を登り切ったところで繰り広げられた惨劇のことなど想像もしなくなっていたのでしょう。
この蜂起は失敗しフィデルカストロは逮捕されますがその後釈放されメキシコに亡命。56年にチェ・ゲバラらとキューバ国内に潜入しゲリラ戦を展開、59年1月、バティスタ政権を崩壊させます。7月26日は革命記念日になっています。
このささやかな銃弾跡に日露戦争に勝利した二百三高知のトーチカの無数の銃弾跡を思わずにはいられません。ロシア兵が銃を向けて待ち構えている長いトーチカの前を走らされ、第3回総攻撃だけで戦死4,958名、負傷者11,584名を出しています。
日露戦争勝利に日本中が沸き立ち、二百三高地の絶壁のように前髪を高く結う「二百三高地」と髪型まで大流行します。あの絶壁を登り切ったところで繰り広げられた惨劇のことなど想像もしなくなっていたのでしょう。
2010年01月14日
2010年01月13日
2010年01月12日
2010年01月09日
キューバのリゾートで年越し休暇
キューバ人と再婚した友人が夫君の郷里サンティアゴのリゾートで年越しするので来ないかと誘われ、思いがけず年末年始をキューバで過ごしました。
滞在したホテル・クラブ・アミンゴ・カリソル-ロス・コラレスはキューバ第二の都市であり、キューバ革命発祥の地サンテアィエゴ・デ・クーパの東に広がる国立公園プラヤカコナオ西部劇映画で見たような光景の中の走った一番東にあるるカリブ海に面した長期滞在型ホテルです。
海岸の左手の山の向こうには、イスラム過激派に対する拷問で有名になり、オバマ大統領が閉鎖を約束したアメリカ軍のグアンダナモ収容所があります。
宿泊料金はオンシーズンでインクルーシブで1泊ツイン2人で7000CUC(約7000円)です。
カナダ、ヨーロッパからの利用が多く、スペイン語、英語、フランス語の対応がされています。カナダからはツアーが組まれていて、1ヶ月滞在する人もいるようです。アジア人は私たちだけでした。
インクルーシブというのは3食フリードリンク付きと言うことで、夜11時から海岸で始まるディスコタイムのバー以外、クリスマスや年越しの特別なディナーも含め全ての飲食とホテル内でのイベントへの参加が無料です。浜辺にもレストランもバーもあり、チップ用の1CUC(100円)コインだけあれば財布を持たずに過ごせる気楽さはありがたいです。
ヨットやカヤック等も無料です。スキューバダイビングはボンベ込35CUC(約3500円)。友人は海の状況がよければ毎日のようにスキューバダイビングを楽しんでいました。毎回、違う場所に連れて行ってくれるのだそうです。私はシュノーケルで海岸近くの熱帯魚と遊ぶ程度、木陰でのんびり過ごしました。
キューバのリゾートホテルの特長はアニマドーレというお客さまを楽しませるスタッフたちです。ここには7人のアミマドーレがいて、スペイン語やサルサのレッスンをしたり、プールや浜辺での遊びや夜のショーを企画し、自らもエンターテナーとして歌ったり踊ったり司会をして盛り上げてくれます。彼らはバーの利用とレストランでの夕食が許されており、お客さまの話し相手などもしています。サービス精神に溢れた何とも明るい「国営ホテル」です。
ある日、サンティアゴ大学で医学や電子工学を学んでいる東アフリカのジブチ共和国の留学生たちが日帰り遠足で来ていました。アニマドーレたちは彼らの遠足も盛り上げます。イスラムの女子学生が長袖にベールを被ったままプールに飛び込んでバレーボールに興じ、ビショビショ姿のまま、プールサイドでディスコダンスを楽しんでいました。
年越しのディナーにもアフリカの留学生たちの姿がありました。この日は104人のアンゴラ共和国からの留学生が近隣ホテルに分散して年越しを楽しんでいたそうです。キューバが発展途上国からたくさんの留学生(主に医学生)を無料で受け入れてきたことは知っていましたが、思いがけず、実際にその実際に触れる機会を得ることができました。
アニマドーレだけでなく他のスタッフ達もフレンドリーです。さすがラテン系、チャーミングでスペイン語が上手い友人は「一度僕を試してみない?」何て迫られ?たりも。「何しろ俺は1,100万の大嘘つつきの一味だ。。。」というのはフィデル カストロをアリババと40人の盗賊のアリババ、1,100万の国民をアリババの仲間の盗賊とするジョーク、フィデルのようにハンサムでなく背も低い弟のラウル カストロについては、「ママがよその男とできっちゃった子だ」という冗談も広まっていて、友人が宿泊料が安くなった理由を聞いたら、「俺たち馬鹿には分からない。あのママが。。。。。した例の奴が決めたことだから」と返ってきました。この人たちに一党独裁、思想統一なんて通じないでしょう。
キューバのこういったホテルは外国人専用でしたが、国民からの要望で2008年6月からキューバ人も利用できるようになり、実際にキューバ人家族も宿泊していました。医療、教育が無料、食料は安価で配給されるため、働きたがらない人が増えている反面、頑張れば収入を増やせる道が広がるっているということなのでしょう。
日本でも戦中、戦後には食料配給制度があり「米穀手帳」なしにはお米が手に入らなかったので、就学旅行などのときは各自お米を持参したという私の経験を話したら、友人の夫君が
「キューバと同じだ。フィデルは世界中の情報を集めている。キューバの配給制度は日本を真似たんだ。」
と言っていました。