2010年02月

2010年02月27日

桜が咲きました

20100227河津桜20100227河津桜2 






 自宅近くの坂川の河津さくらが咲きました。
 染井吉野は白に近いピンク、こちらの方が桜色らしいですね。

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2010年02月24日

一人芝居「化粧」

1fd16454.jpg 松戸市民劇場で渡辺美佐子さんの一人芝居「化粧」の上演がありました。今年入会した松戸演劇鑑賞会の例会です。

 このお芝居が評判になったのは大分前だったとは思ったのですが、初演が1982年だそうですから28年も経っているのですね。 ということはもう若くはないはずなのに、出ずっぱりで、語り続け、演じ続け。。。そのお元気さに感嘆です。その上、もろ肌抜いて、胸も手も足も白塗りの化粧をします。少し太られてその白い肌がふっくらっとしています。3月末リタイアする私より10才も先輩です。

 1日休んで今週土日は高松公演だそうです。

 

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2010年02月20日

東海道由比宿〜正雪紺屋とあかりの東海道博物館

 翌日は岩本山で三分咲きの梅祭り初日を楽しみ、焼きそばに続く地元B級グルメのつけナポリタンを体験した後、大井川を渡って沼津に入り油井宿あたりの東海道を楽しみました。

2010220紺屋20100220藍坪






 由比本陣公園の向かいにある由比正雪生家といわれる正雪紺屋です。江戸時代初期より十八代つづく染め物屋で店先には藍壷も残っています。季節を題材にした手拭やハンカチ、手作りのバッグなど取り扱っています。

20100220あかりの博物館20100220あかりの博物館館長






 東海道あかりの博物館です。公営ではなく館長の片山光男氏が個人で集めたものです。日本のあかりの歴史がわかるよう展示しています。建物は大正8年築だそうで展示のあかりを使った暮らしに近い雰囲気です。一方では太陽光発電をし、白熱電球を1個4.3Wのエコ電球に変え、館内の50個を電球を点灯させています。

 館長さんは説明だけでなく火起こしの実演もします。火打石、火打金で発火させた火花を火口で受けて炎にし懐提灯に火を灯し、東海道五十三次の旅を想像させてくれます。また、日本の職人技ここにあり!というアイディアと技巧を凝らした燭台なども実際に使って見せてくれます。

 公式サイトがないので代わりにパンフレットをPDFファイルにしました。

 このあたりは1日かけて見るところがあるようです。

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2010年02月19日

昨年に続き今年も静岡の優良企業見学

c2185585.JPG 東京中小企業家同友会女性部増収増益セミナーの優良企業訪問は今年も静岡でした。リタイアするのに、今更、経営の勉強もないかなと思いながらの参加でしすし。

 コーディネーターは小出宗昭氏氏です。
 小出氏は2001年、静岡銀行から創業支援施設「SOHOしずおか」へ出向、
 2005年、企業支援家としては最高の栄誉である「Japan Venture Award 2005」(起業支援家部門)の経済産業大臣表彰を受賞、
 2008年に静岡銀行を退職して株式会社イドムを創業、富士市産業支援センターの運営を受託し小出氏自身がセンター長として地元企業の支援にあたっています。

 小出氏は9年間で650件の新規ビジネスの支援実績があるそうです。訪問させていただいた3社も素晴らしいですが、地域再生の要になっている小出氏率いるf-Bizに敬服です。

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|羯慨崔呂任稜清函船曠謄襦▲譽好肇薀鷆侈海ら農業に転職

IMG_1217 最初の訪問先は株式会社ビオファームまつきです。左が松木一弘社長、右が小山氏。
 
 松木氏は17年のホテル、レストラン勤務から農業に転職したいと富士市に移り住み、現在は20ヶ所に9000坪の畑を輪作しながら完全無農薬で少量多品目栽培で環境にできるだけ負荷のかからない農業に取り組んでいます。

 農業のビジネス化の要請から大規模な農地で同じものを大量に作る農業が効率的だと推奨されています。手間のかかる中山間農地が耕作放棄されるなら山に戻したらいいとまで言う人もいるようです。これに対し松本氏は中山間地の小規模農地で農業ビジネスを成功させています。松本氏は
 「農業従事者の平均年齢は64.6歳、この20年で農地は23%減、耕作放棄地は3倍に拡大している。農地はたくさんある。農協に一括して納める農業ではやっていけないけれど、消費者に直に販売する工夫をすればやっていける。農業は魅力的なビジネス。中山間農業のビジネスモデルをつくりたい。」
 と言います。

0219Bio-S4700eb29.JPG






 会場の畑の中のレストランBio-Sの昼食です。左は功刀さんが育てた3年ものの虹鱒と野菜のテリーヌ。右は40日間熟成させたホルスタイン赤身肉と早春野菜のロースト。野菜は全て自前、魚、肉、マッシュルームは地元産です。
 ブログで厨房スタッフの写真を見つけました。12月8日、オープンの日の日記です。

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△泙世泙世△襦生かされるべきセールスポイント

b2338ec9.JPG0219司技研笹木事務長






 2番目の訪問先は株式会社司技研です。創業20年、社員数13人、コンピュータを使って金属を削り、複雑で高精度を求められる機械部品などを製造する会社です。大手企業に協力し新製品が量産に入る前の段階を担ってきましたが売上げが伸び悩み富士市産業支援センター f-Bizに相談しました。

 f-Bizは同社が当たり前にやっている「高度な金属加工技術で1品でも超短期で納品する」のは凄いセールスポイント、これを生かそう!とアドバイスし

 試作品超特急サービス3DAY
 部品再生110番
に取組んでいます。地方新聞から全国紙、車の雑誌等々で紹介され大きな反響を得ているそうです。

 技術屋さんの中川社長(左の写真の右)は笹木氏(左の写真)との関係を「赤い糸で結ばれている」と言われます。笹木氏は大手企業の定年退職の再就職です。パートの女子事務員の求人広告を見て、近くの会社だったので覗いてみたのだそうです。
 当時、司技研さんは5Sを実施済み(整理整頓されてきれい!工場なのに油臭くない!が訪問の第一印象でした)、次にアメバー経営を導入しようとしたけれどコンサルタントを頼む資金がないので中川社長自らが京都に通って勉強中でした。笹木氏はそんな社長に共鳴し、この規模なら自分の思うことができるのではないかと協力を申し入れたのだそうです。

0219司技研工場 お話の後、工場を見学させていただきました。
 1,000の1ミリの精度で削るという技術者は70代、40代のベテランも修行中の若い技術者もいます。
 2階の事務所では女性の担当者が機械を動かすプログラムをつくり(技術者も自分でプログラムできる)、図面のない場合は中川社長が図面を起こしてしまうそうです。

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再生した「富士ミルクランド」の社長も定年転職組でした

2019ミルクランド 各地の観光牧場が苦戦する中、朝霧高原の富士ミルクランドは地元顧客を増やそうと足元から固める経営で再生を目指しています。
 富士ミルクランドは1996年に朝霧高原の酪農家たち開設、2003年には会社化していますが、創業以来、経営は思わしくなかったようです。

2019ミルクランド天野正一社長 社長の天野正一氏は地元ホテルチェーンに35年勤めたホテルマンです。定年退職を控えて登録した人材バンクから紹介され、2007年に退職、2008年2月に入社、6月に社長に就任しています。
 自宅から駅まで自転車、新富士駅まで新幹線、新富士駅から車と通勤時間はかかりますが新幹線車中を社長室にし、車を運転しながら音楽を楽しみ、職場では社長室をなくして社員たちと一緒に働くと生活を楽しんでおられるようです。

 インタービューサイト旬な人に天野社長が紹介されています。写真はこのウェブからお借りしたものです。

kumie62 at 23:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!その他 

2010年02月14日

地域通貨はキティちゃん小判

853df83c.jpg ゆきみ夕水先生と浅草おかみさん会長を訪ねました。最近の浅草はいつも賑やかです。

 夕水先生がお帰りになったあと、スパーでの買い物と食事の支度にお付き合いしながらのお話しました。食事担当のお手伝いさんの体調が悪く、最近は台所仕事をされているとか。70代の大先輩がみなさんお忙しくされているのに私は。。。。と申し訳ない思いです。

 いくらかでも応援させていただこうと冨永照子のおかみさんブログを更新しました。ニュースは浅草の地域通貨「キティちゃん小判」です。メールでデータをいただけるともう頻繁に更新できるのですがなかなかむずかしいです。

KICX8337  帰りはひさご通りのまつもとさんで草履の踵修理用のゴムと釘を購入(5足分で1400円)し、いつものように南千住駅までウォーキング。新しい携帯電話の歩数計は歩数、距離、消費カロリー、脂肪燃焼量が表示されます。往復の異動を含め約1万歩、脂肪消費31グラムでした。

2010年02月06日

雪の富士を見ながら伊藤悌三絵画展へ

3585a6cc.JPG 会場は神奈川県足柄郡の大井町中央公民館。小田急線新松田でJR御殿場線に乗り換えて一駅の相模金子駅下車15分、グーグルマップで確認すると新松田から会場までは徒歩35分です。

 プリントアウトした地図を忘れたので一瞬躊躇いましたが、地図の記憶をたよりに歩くことにしました。和服は重ね着をしているせいか思ったより暖かく、雪の富士山を眺めながらのウォーキングを楽しみました。

0206悌三画展 伊藤悌三氏が亡くなられて13年、13回忌の区切りにとご子息の伊藤亜人教授夫人が奔走され、ご縁のあった大井町での個展を開催されたそうです。

 私と悌三氏とのご縁はスケッチ画集「我が心の隅田川」です。その中の1枚「吾妻橋・凌雲閣眺望」を大江戸東京音頭のCDに使わせていただいています。

 悌三氏の油絵を拝見するのは初めてです。1930年代に大作を描かれています。戦後間のない頃までは、美しい奥様の肖像画を含めて色調を抑えた絵ですが、晩年のスペインで描いた絵は明るく鮮やかで裸婦の絵までがきれいな色使いです。どちらかと言えば私は若い頃の絵の方が好きですが、年を重ねてこういう風に変化されたことに感動を覚えました。

 今日は茶席も用意いただいて、思いがけず素晴らしいお茶碗を見せていただきました。チャコールグレーに銀を混ぜたような生地に金を少し加えた銀で梅が描かれています。着物にしたら。。。と思うような「派手渋」なモダンな和です。陶芸家の伊藤北斗ご夫妻がお茶碗をお持ちくださったのです。北斗氏は亜人教授の従兄弟だそうですから悌三氏の甥ごさんですね。

 

 

 


 
 

kumie62 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!着物 

2010年02月03日

柴又山本亭でミニクラス会

c1ca837b.jpg 柴又の山本亭でミニクラス会がありました。立教大学法学部社会人入試一期生の集まりです。

 昭和54年入学なので合思会と名づけています。あれから31年です。同期最高齢(当時53才)の学友が参加しやすいよう彼の家の近くで集まろうという幹事さんの配慮です。同期で一番若かった幹事さんは10年近く民生委員をしているそうです。高齢者のお世話は慣れているようで、骨粗相症の対応、補聴器の選び方など後期高齢者の話題に優しく耳を傾け適切なアドバイスをしています。

 柴又は自宅から歩いて1時間でした。川甚で祖母の米寿の祝をしたのは40年以上前、帝釈天にお参りしたのもずいぶん前です。こんなに近くになのに山本亭は知りませんでした。山本亭は昭和63年まで山本氏が住んでいたものを葛飾区が譲り受けに平成3年4月から一般公開されたそうです。私が来たのはその前だったのでしょう。

 昭和初期の建築とありますが、関東大震災で浅草小島町の家を消失した山本氏が製瓦業者の屋敷を買い受けて大幅な増改築をしたのが昭和初期、蔵の築造年などは不明だそうです。
 
 デジカメも携帯も持っていかなかったので人さまのブログから写真をお借りしました。波打っている板ガラスのレトロで風情がよく出ています。公式サイトよりこちらの方がいい写真が載っています。
 入館料100円、お部屋を借りると(数人用の半日で700円)入館料はいりません。お抹茶、甘酒、お雑煮などもいただけます。

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2010年02月01日

達真・源九郎の会

45420dd4.jpg 達真・源九郎の会の公演(日本橋劇場)です。写真撮影は駄目なのですが、最後幕が引かれ始めた拍手の中でなら許されるのではないかと1枚だけ撮らせていただきました。

 達真さん源九郎さんは文部科学大臣奨励賞(トップの賞)を受賞し注目を集めている若手いる舞踊家です。お二人とのご縁は大江戸東京音頭です。花柳芳次郎先生(四世花柳寿輔)に振付けていただいた際、公開練習会でお二人に指導いただきました。お二人は東京芸大邦楽科日本舞踊専攻の卒業生で後輩の学生さんたちにもお手伝いいただき、そのご縁で芸大卒業生による藝〇座公演は毎年拝見しています。

 今回は古典の勉強会です。演目は清元「鳥さし」(達真)、「浮かれ坊主」(源九郎)と常磐津「積恋雪関扉」です。積恋
 写真は「積恋雪関扉(積もる恋雪のせきのと)」で左は関兵衛実は大伴黒主(達真)、右は小野小町姫/傾城墨染実は小町桜の精(源九郎)です。天明4年(1784年)初演とあります。藝〇座公演は創作舞踊劇で毎回感動していますが長い時を経て残っているものには叶わないのかも知れません。私は日本舞踊のことは何も分からないのですが。。。。