2011年12月

2011年12月30日

年末の市場

暮の市場  お正月用に煮しめの材料を買いに行きました。
 中国のお正月(春節)は旧暦です。一応、1月、2日は休日ですが年越し気分は全くない年の瀬です。




糯米糕  糯米糕といいます。12月中ごろから店に並ぶようになりました。お汁粉、安倍川餅。。。黄な粉は見当たらないなので豆粉(生の大豆を粉にした)をフライパンで炒って作った。。。いいお餅です。ちょっとだけ甘いのですがお雑煮もこれでいいかな。

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2011年12月22日

南通農業職業大学の学食

 南通農業職業大学の日本語の先生とご縁ができ市内を案内していただきました。ここの日本語学部はビジネス日本語コースと観光日本語コースがあり、市内の観光案内の実践授業もされているようです。

 学食テーブル食堂携帯決済学食牛ラーメン







 出発前に学食でお昼をご馳走になりました。栄成市のハルピン理工大学では専用カード決済でしたがここでは携帯電話で支払っていました。

 右端は西の地方独特の牛肉ラーメンコーナーです。ここには普通語を話せない若者を対象にした中国語コースがあり、100人の学生が学んでいるそうで、彼らの食生活にあわせた料理を提供されているのだそうです。

kumie62 at 22:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国 | 暮らし

南通博物苑

 南通博物苑は、中国初の中国人の手によって作られた博物館だそうです。中国の重要文化財となっています。
 創設舎はやはり张謇です。張謇は1903 年明治政府より第五回内国勧業博覧会に招待され、70 日間の日本視察をしています。そのときに現在の東京上野の国立科学博物館、小石川植物園もみており、それらをモデルにして南通博物苑を作っています。

南通博物苑旧正門旧正門の解説南通博物苑濠の向う学校






 創設当時の正門です。当時は濠を隔てた向うに師範学校があり、学生たちは橋を渡って行き来していました。

南通博物苑現在の入り口南通博物館博物苑で結婚写真






新館が建てられ、こちらが正門です。市民広場でもあり結婚式用の写真撮影をしていました。(こちらでは事前にこういう写真撮影をし、披露宴の会場に大きく飾られます。)

博物苑北館薬用植物20111217博物苑薬用植物苑解説

2011年12月20日

張謇の別邸

 南通博物館のある博物苑の敷地内に张謇の別邸があります。というより、この一帯が张謇の所有地だったのでしょう。
 建築後100年は経っている建物ですが、今も誰かが住んでいるようにきれいに管理されています。しっかりとした建築で内装は重厚ですが華美ではありません。张謇に関する資料のなかに中国で初めて発行された株券なども展示されています。

20111217张20111217张20111217张






別邸3別邸4別邸5






別邸6別邸7別邸8






別邸東側別邸表別邸表謹啓






 张謇は紡績業で南通を豊かにし、文化、教育に力をいれていますが、まちづくりにも意欲的でした。青島や上海のように外国人による街ではなく中国人自身による街をつくろうとしたのです。1900年代の初めに住居地域、文教地域、工業地域などの都市計画を立てて開発しています。

 そういう歴史があるためでしょうか、建築は南通の基幹産業のひとつになっています。上海のビルの4分の1、南京の3分の1、青島のビルの5分の4、すべて南通人によって建てられたと言われ、建築界の中の優秀な章はいつも半分近く、南通の人が取っているのだそうです。

 教育家でもあった张謇の別邸は、当時、建築に携わる人たちにいい建物を建てる実践教育だったでしょうし、いい建物を見せることで後世の建築家を育ててきたのかもしれません。



再訪問した南通紡績博物館

  紡績博物館は南通に来てすぐの頃に一度来ていますが、見ていないところがあるようなのでもう一度行ってきました。

20111217南通紡績博物館4工場20111217南通博物館豊田織機








  今も稼動しているかのように当時の工場です。常時公開していないようで窓の外から撮りました。
  右は、私たちが教科書で教えられたトヨタの創業者豊田佐吉が発明した豊田織機です。これは博物館の方に展示されていました。トヨタのOBの方が、「糸が切れるのを検出する『からくり』は素晴らしくものづくりの原点です」とおっしゃっていました。

20111217南通紡績博物館20111217南通紡績博物館2








  紡績工場敷地内の建物を移設保存してあります。ここで綿花を買い受けています。

20111217南通紡績博物館620111217南通紡績博物館5








 当時の農家の様子も残しています。観光用というより南通の子供たちの学習教材でしょうか。この町の博物館は全て入場料無料です。

2011年12月19日

明代に建立された文峰塔

88bc9353.jpg  明代に建てられた塔です。それまで南通からはひとりも出ていない状元(科挙のトップ合格者)を出したいと願って建てられたものだそうです。その後、2人の状元が出ています。

  その2人目が清朝末期に状元になった張謇(けん)です。
  彼は清朝にも孫文、袁世凱政府にも関りますが政治の世界から離れて故郷南通に帰り、実業により自らの手でより良い社会をつくる道を選びます。彼は都市計画にも意欲的で、この文峰塔周辺に博物館や学校を建て、文教エリアにしています。

  南通には文峰という名前がついているホテルや公園、住宅団地、コンビニクラスの商店などがたくさんあります。この塔は遊園地になっている文峰公園の濠ひとつ隔てた隣地に建っています。最初に通ったときは工事中の塀があったこともあり、何も知らなかった私は愚かにも文峰グループが遊園地のシンボルとして近年になって建てたものかと思ってしまいました。今は宗教的管理をしていないことと、日本で見慣れている塔とは違い六角の五重塔のせいかもしれません。

20111217文峰0工事塀20111217文峰塔220111217文峰塔3

2011年12月18日

やはり城がありました

5cc81679.jpg  濠があるなら城跡があるはずと思っていたのですが、跡ではなくしっかりと城がありました。

 後側の濠で囲まれたところが昔の城下。真ん中の白い塔の後にあるのがお城。日本の鎌倉時代の城らしい。前の塔は時計台、漢文化とはちょっと違うのは元の時代だからか。

  下側は後から拡張したもの。結果ひょうたん型の濠で囲まれた町になった。濠の中央を東西に走る道が濠南路と言われるがおかしいと思ったけれど、下側がなかったのなら納得。


20111218城と時計台20111218城の周辺の開発20111218城下の町






 時計台の西側の工事エリアが人民公園、西側には古い家並が残る。この家並をどう残されるのか注目したい。
 この工事の南側が旧市街地の中心地、ここから南に走る南大街が中心的商店街。この南大街の南端エリアに漢和学校がある。

kumie62 at 15:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国 

2011年12月17日

歴史文化街区

 東京なら銀座の一等地の街区の中側という立地です。

20111216南通都市計画20111216南通都市計画220111216南通都市計画3

2011年12月16日

なかなか上達しない中国語

c9230cef.jpg もち米を買ったらお餅をすすめられました。甘くない餅だと確認したつもりですがちょっと甘かった。焼いてお醤油ではちょっと?だったのでお汁粉を作りました。

 茹でた落花生がすきなのですが、渋皮にポリフェノールがあるそうでです。それならと落花生を買いに行きました。生がほしいと言ったつもりなのですが焼き上げた落花生でした。結局、妬き上がっている落花生を炊飯器に入れてもう一度火を通しました。 

kumie62 at 06:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国 | 暮らし

2011年12月15日

傾世皇妃

61ee2cb6.jpg 今、ちょっと嵌まっているテレビドラマです。
 女性たちの髪型が面白い。おすべらかしを連想させるものや、日本髪に繋がっているのではないかと思うものもあります。
 1集45分で毎日2集ずつ夜昼2回放映されてます。インターネットには最終回42集まで載っています。外国からも見えるものもあります。検索サイト≪百度≫の視類で検索してみてください。

20111215傾世皇后020111215傾世皇后220111215傾世皇后3

2011年12月14日

車道に乳母車。。。

be6dc644.jpg乳母車や車椅子が車道が通れる歩道でにはなっていないので当然こうなるのですが、何度みてもちょっとはらはらします。



kumie62 at 07:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国 

2011年12月11日

インターネット接続

e0b4418d.jpg  インターネットが繋がらない状況が続いていました。
  賃貸契約時に会社が家主に支払ったネット接続料を半年分が10月からになっており、従量制で使用した9月分の接続料が未納だったのです。

  料金が未納なら家主(契約者)に連絡が来ているはずだろうとか、故障なら家主からネット接続の会社に連絡してもらうか連絡先を教えてもらうしかないと思い、会社の担当から家主に連絡してもらったのですが、家主は小さいことをいちいち家主に言われても困る。。。という雰囲気らしい。

 家主がそう思うのももっとでした。この国ではネット接続先を個人が選択するシステムにはなっていなかった。団地内にある超市(コンビニクラス)で電話番号(IDの数字部分)を言えば直ぐに未納額が分かり、その場で支払えば自動的に接続が回復されるシステムでした。

 そういえば、契約時に私は固定電話は要らないと言っていたので受話器を外していますが、外す前に、何度か機械音声で電話がかかってきたことがありました。あれは料金未納の連絡だったのでしょう。未納金管理は確実にペーパーレスになっているようです。

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2011年12月10日

1,100元と案内したのは450元のところだった

83111126.jpg  前回のブログに書いた「虹橋空港到着出口前のカウンターで1,100元だと言われた」のは450元の距離だったようです。

kumie62 at 16:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国 | 暮らし

2011年12月04日

やっぱり怖い上海

2534d9f9.gif  12月3日に南通に戻りました。飛行機は羽田から上海虹橋空港です。虹橋空港は山東省から南通に引っ越して来たときに利用しています。中国人の女性に迎えに来てくれ、虹橋空港から南通への直通バスの利用の仕方を教えていただきました。浦東空港から南通は不便だから虹橋空港を利用するといいとアドバイスを受けています。それで日本経由の復路は羽田発虹橋着にしたのです。

  一度利用して分かりやすかったものだからサイトで確認しなかったのが間違いでした。ターミナルはひとつしかないと思い込んでいました。

  ところが9月に利用した空港とは雰囲気が全く違うのです。案内看板も見当たりません。出口正面に案内カウンターがありました。タクシーの案内のようですが案内所が見あたらないのでバス乗り場を聞きました。南通へのバスはないというのです。タクシーを勧められました。1100元だといいます。私の中国での1か月分の生活費です。長距離タクシーはメーターで走ってくれないのは知っていますが、日本企業の方は500元で利用していると聞いています。虹橋まで延ばしても600元でしょう。長距離バスなら60元です。

  地下鉄はないかと聞いたら外面だといいます。外に出てみましたがそれらしい案内看板はありません。もう一度、建物内に戻り、案内図を探しましたが見当たりません。地下鉄乗り場を聞こうともう一度さっきの案内所に戻りました。

  日本人らしき方が英語で相談されています。彼らのホテルは上海駅の近くでした。8人のグループだから3台だと言っています。案内人は9人のり1台を勧めています。それならということで同乗させていただきました。浦東空港と違い虹橋空港から上海駅はそんなに遠くないのです。それなに。。。。という金額でした。(割り勘分は受け取っていただけなかったのですが)

  こうしてウェブで調べれば簡単に分かることでした。なまじ知ってたからそれを怠りました。リアイアすると緊張感もなくなっているようです。ひとり旅がちょっと気重くなりました。

kumie62 at 21:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国 | 旅行