2011年12月
2011年12月30日
2011年12月22日
南通博物苑
2011年12月20日
張謇の別邸
南通博物館のある博物苑の敷地内に张謇の別邸があります。というより、この一帯が张謇の所有地だったのでしょう。
建築後100年は経っている建物ですが、今も誰かが住んでいるようにきれいに管理されています。しっかりとした建築で内装は重厚ですが華美ではありません。张謇に関する資料のなかに中国で初めて発行された株券なども展示されています。
张謇は紡績業で南通を豊かにし、文化、教育に力をいれていますが、まちづくりにも意欲的でした。青島や上海のように外国人による街ではなく中国人自身による街をつくろうとしたのです。1900年代の初めに住居地域、文教地域、工業地域などの都市計画を立てて開発しています。
そういう歴史があるためでしょうか、建築は南通の基幹産業のひとつになっています。上海のビルの4分の1、南京の3分の1、青島のビルの5分の4、すべて南通人によって建てられたと言われ、建築界の中の優秀な章はいつも半分近く、南通の人が取っているのだそうです。
教育家でもあった张謇の別邸は、当時、建築に携わる人たちにいい建物を建てる実践教育だったでしょうし、いい建物を見せることで後世の建築家を育ててきたのかもしれません。
建築後100年は経っている建物ですが、今も誰かが住んでいるようにきれいに管理されています。しっかりとした建築で内装は重厚ですが華美ではありません。张謇に関する資料のなかに中国で初めて発行された株券なども展示されています。
张謇は紡績業で南通を豊かにし、文化、教育に力をいれていますが、まちづくりにも意欲的でした。青島や上海のように外国人による街ではなく中国人自身による街をつくろうとしたのです。1900年代の初めに住居地域、文教地域、工業地域などの都市計画を立てて開発しています。
そういう歴史があるためでしょうか、建築は南通の基幹産業のひとつになっています。上海のビルの4分の1、南京の3分の1、青島のビルの5分の4、すべて南通人によって建てられたと言われ、建築界の中の優秀な章はいつも半分近く、南通の人が取っているのだそうです。
教育家でもあった张謇の別邸は、当時、建築に携わる人たちにいい建物を建てる実践教育だったでしょうし、いい建物を見せることで後世の建築家を育ててきたのかもしれません。
再訪問した南通紡績博物館
紡績博物館は南通に来てすぐの頃に一度来ていますが、見ていないところがあるようなのでもう一度行ってきました。
今も稼動しているかのように当時の工場です。常時公開していないようで窓の外から撮りました。
右は、私たちが教科書で教えられたトヨタの創業者豊田佐吉が発明した豊田織機です。これは博物館の方に展示されていました。トヨタのOBの方が、「糸が切れるのを検出する『からくり』は素晴らしくものづくりの原点です」とおっしゃっていました。
紡績工場敷地内の建物を移設保存してあります。ここで綿花を買い受けています。
当時の農家の様子も残しています。観光用というより南通の子供たちの学習教材でしょうか。この町の博物館は全て入場料無料です。
今も稼動しているかのように当時の工場です。常時公開していないようで窓の外から撮りました。
右は、私たちが教科書で教えられたトヨタの創業者豊田佐吉が発明した豊田織機です。これは博物館の方に展示されていました。トヨタのOBの方が、「糸が切れるのを検出する『からくり』は素晴らしくものづくりの原点です」とおっしゃっていました。
紡績工場敷地内の建物を移設保存してあります。ここで綿花を買い受けています。
当時の農家の様子も残しています。観光用というより南通の子供たちの学習教材でしょうか。この町の博物館は全て入場料無料です。
2011年12月19日
明代に建立された文峰塔
明代に建てられた塔です。それまで南通からはひとりも出ていない状元(科挙のトップ合格者)を出したいと願って建てられたものだそうです。その後、2人の状元が出ています。
その2人目が清朝末期に状元になった張謇(けん)です。
彼は清朝にも孫文、袁世凱政府にも関りますが政治の世界から離れて故郷南通に帰り、実業により自らの手でより良い社会をつくる道を選びます。彼は都市計画にも意欲的で、この文峰塔周辺に博物館や学校を建て、文教エリアにしています。
南通には文峰という名前がついているホテルや公園、住宅団地、コンビニクラスの商店などがたくさんあります。この塔は遊園地になっている文峰公園の濠ひとつ隔てた隣地に建っています。最初に通ったときは工事中の塀があったこともあり、何も知らなかった私は愚かにも文峰グループが遊園地のシンボルとして近年になって建てたものかと思ってしまいました。今は宗教的管理をしていないことと、日本で見慣れている塔とは違い六角の五重塔のせいかもしれません。
その2人目が清朝末期に状元になった張謇(けん)です。
彼は清朝にも孫文、袁世凱政府にも関りますが政治の世界から離れて故郷南通に帰り、実業により自らの手でより良い社会をつくる道を選びます。彼は都市計画にも意欲的で、この文峰塔周辺に博物館や学校を建て、文教エリアにしています。
南通には文峰という名前がついているホテルや公園、住宅団地、コンビニクラスの商店などがたくさんあります。この塔は遊園地になっている文峰公園の濠ひとつ隔てた隣地に建っています。最初に通ったときは工事中の塀があったこともあり、何も知らなかった私は愚かにも文峰グループが遊園地のシンボルとして近年になって建てたものかと思ってしまいました。今は宗教的管理をしていないことと、日本で見慣れている塔とは違い六角の五重塔のせいかもしれません。
2011年12月18日
やはり城がありました
濠があるなら城跡があるはずと思っていたのですが、跡ではなくしっかりと城がありました。
後側の濠で囲まれたところが昔の城下。真ん中の白い塔の後にあるのがお城。日本の鎌倉時代の城らしい。前の塔は時計台、漢文化とはちょっと違うのは元の時代だからか。
下側は後から拡張したもの。結果ひょうたん型の濠で囲まれた町になった。濠の中央を東西に走る道が濠南路と言われるがおかしいと思ったけれど、下側がなかったのなら納得。
時計台の西側の工事エリアが人民公園、西側には古い家並が残る。この家並をどう残されるのか注目したい。
この工事の南側が旧市街地の中心地、ここから南に走る南大街が中心的商店街。この南大街の南端エリアに漢和学校がある。
後側の濠で囲まれたところが昔の城下。真ん中の白い塔の後にあるのがお城。日本の鎌倉時代の城らしい。前の塔は時計台、漢文化とはちょっと違うのは元の時代だからか。
下側は後から拡張したもの。結果ひょうたん型の濠で囲まれた町になった。濠の中央を東西に走る道が濠南路と言われるがおかしいと思ったけれど、下側がなかったのなら納得。
時計台の西側の工事エリアが人民公園、西側には古い家並が残る。この家並をどう残されるのか注目したい。
この工事の南側が旧市街地の中心地、ここから南に走る南大街が中心的商店街。この南大街の南端エリアに漢和学校がある。
2011年12月16日
2011年12月15日
2011年12月11日
インターネット接続
インターネットが繋がらない状況が続いていました。
賃貸契約時に会社が家主に支払ったネット接続料を半年分が10月からになっており、従量制で使用した9月分の接続料が未納だったのです。
料金が未納なら家主(契約者)に連絡が来ているはずだろうとか、故障なら家主からネット接続の会社に連絡してもらうか連絡先を教えてもらうしかないと思い、会社の担当から家主に連絡してもらったのですが、家主は小さいことをいちいち家主に言われても困る。。。という雰囲気らしい。
家主がそう思うのももっとでした。この国ではネット接続先を個人が選択するシステムにはなっていなかった。団地内にある超市(コンビニクラス)で電話番号(IDの数字部分)を言えば直ぐに未納額が分かり、その場で支払えば自動的に接続が回復されるシステムでした。
そういえば、契約時に私は固定電話は要らないと言っていたので受話器を外していますが、外す前に、何度か機械音声で電話がかかってきたことがありました。あれは料金未納の連絡だったのでしょう。未納金管理は確実にペーパーレスになっているようです。
賃貸契約時に会社が家主に支払ったネット接続料を半年分が10月からになっており、従量制で使用した9月分の接続料が未納だったのです。
料金が未納なら家主(契約者)に連絡が来ているはずだろうとか、故障なら家主からネット接続の会社に連絡してもらうか連絡先を教えてもらうしかないと思い、会社の担当から家主に連絡してもらったのですが、家主は小さいことをいちいち家主に言われても困る。。。という雰囲気らしい。
家主がそう思うのももっとでした。この国ではネット接続先を個人が選択するシステムにはなっていなかった。団地内にある超市(コンビニクラス)で電話番号(IDの数字部分)を言えば直ぐに未納額が分かり、その場で支払えば自動的に接続が回復されるシステムでした。
そういえば、契約時に私は固定電話は要らないと言っていたので受話器を外していますが、外す前に、何度か機械音声で電話がかかってきたことがありました。あれは料金未納の連絡だったのでしょう。未納金管理は確実にペーパーレスになっているようです。
2011年12月04日
やっぱり怖い上海
12月3日に南通に戻りました。飛行機は羽田から上海虹橋空港です。虹橋空港は山東省から南通に引っ越して来たときに利用しています。中国人の女性に迎えに来てくれ、虹橋空港から南通への直通バスの利用の仕方を教えていただきました。浦東空港から南通は不便だから虹橋空港を利用するといいとアドバイスを受けています。それで日本経由の復路は羽田発虹橋着にしたのです。
一度利用して分かりやすかったものだからサイトで確認しなかったのが間違いでした。ターミナルはひとつしかないと思い込んでいました。
ところが9月に利用した空港とは雰囲気が全く違うのです。案内看板も見当たりません。出口正面に案内カウンターがありました。タクシーの案内のようですが案内所が見あたらないのでバス乗り場を聞きました。南通へのバスはないというのです。タクシーを勧められました。1100元だといいます。私の中国での1か月分の生活費です。長距離タクシーはメーターで走ってくれないのは知っていますが、日本企業の方は500元で利用していると聞いています。虹橋まで延ばしても600元でしょう。長距離バスなら60元です。
地下鉄はないかと聞いたら外面だといいます。外に出てみましたがそれらしい案内看板はありません。もう一度、建物内に戻り、案内図を探しましたが見当たりません。地下鉄乗り場を聞こうともう一度さっきの案内所に戻りました。
日本人らしき方が英語で相談されています。彼らのホテルは上海駅の近くでした。8人のグループだから3台だと言っています。案内人は9人のり1台を勧めています。それならということで同乗させていただきました。浦東空港と違い虹橋空港から上海駅はそんなに遠くないのです。それなに。。。。という金額でした。(割り勘分は受け取っていただけなかったのですが)
こうしてウェブで調べれば簡単に分かることでした。なまじ知ってたからそれを怠りました。リアイアすると緊張感もなくなっているようです。ひとり旅がちょっと気重くなりました。
一度利用して分かりやすかったものだからサイトで確認しなかったのが間違いでした。ターミナルはひとつしかないと思い込んでいました。
ところが9月に利用した空港とは雰囲気が全く違うのです。案内看板も見当たりません。出口正面に案内カウンターがありました。タクシーの案内のようですが案内所が見あたらないのでバス乗り場を聞きました。南通へのバスはないというのです。タクシーを勧められました。1100元だといいます。私の中国での1か月分の生活費です。長距離タクシーはメーターで走ってくれないのは知っていますが、日本企業の方は500元で利用していると聞いています。虹橋まで延ばしても600元でしょう。長距離バスなら60元です。
地下鉄はないかと聞いたら外面だといいます。外に出てみましたがそれらしい案内看板はありません。もう一度、建物内に戻り、案内図を探しましたが見当たりません。地下鉄乗り場を聞こうともう一度さっきの案内所に戻りました。
日本人らしき方が英語で相談されています。彼らのホテルは上海駅の近くでした。8人のグループだから3台だと言っています。案内人は9人のり1台を勧めています。それならということで同乗させていただきました。浦東空港と違い虹橋空港から上海駅はそんなに遠くないのです。それなに。。。。という金額でした。(割り勘分は受け取っていただけなかったのですが)
こうしてウェブで調べれば簡単に分かることでした。なまじ知ってたからそれを怠りました。リアイアすると緊張感もなくなっているようです。ひとり旅がちょっと気重くなりました。