2015年01月

2015年01月26日

フィリッピン・ミンダナオ島の平和構築

日本国民の平和への熱い思いが結実しつつある島。
人間への愛と、無私の奉仕と、そしてちょっとしたお金があれば、奇跡が起きることもある。
日本国憲法が育んだピースマインドを決して手放してはいけない。
心が和む映像です。


 


kumie62 at 11:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!憲法 

2015年01月19日

沖縄は本気だ!



kumie62 at 07:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!政治 | 憲法

2015年01月18日

きらきら外苑ウォークに参加しました。

神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会のきらきらウォーキングに参加しました。12月にやっと解体業者が決まり、のびのびになっていた解体工事が始まるというので、解体される競技場に感謝し、建て替えるなら少しでもいいものにしようというウォーキングです。まだ建物解体は始まっていませんが、切り倒された樹木が太い丸太になって積んでありました。

image写真はウォーキング終了後の懇親会での主催者のみなさんです。建築家が中心の会だと思っていたのですが、11人の共同代表中建築家は1人だけでした。女性たちが立ち上がったことで、ようやく大御所の建築家もマスコミを通じて明確な反対の声を上げるようになり、昨日は外務省OB東郷和彦氏も参加、ウォーキング中も懇親会でも熱く語っておられました。
今度は田原総一郎の朝までテレビだ!なんて声も。

2015年01月16日

帰りは熱海の多賀屋で日本蕎麦

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3日目は11時に出発し、エコクリーンセンター東河にごみを運んでから帰路に。
植木職人さんによると今まで経験した何処よりも職員の対応がいいごみ処理場だそう。

往路確認しておいた熱海の日本蕎麦の多賀屋さんで昼食。
卵焼き、おしんこがおいしい!
食後に蕎麦汁粉も。

kumie62 at 23:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!暮らし 

伊豆河津温泉の隠れ家

友人の夫君が河津温泉の小さな割烹旅館を購入。改修が終わった段階で、庭師さんと一緒に宿泊体験しました。
元オーナーは道場六三郎氏のお弟子さん。今度は、友人が女将になり、中国からのお客様に日本の家庭料理と味わっていただく《隠れ家》にするのだそうです。

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玄関を入った左手に大きな囲炉裏。床に座わる習慣のないお客様でも、民芸品をご覧いただきながらウェルカムドリンク。。。程度なら楽しんでいただけそう。

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北側の眺望がすばらしい! 薪を焚く暖炉も。

image源泉かけ流し風の循環式岩風呂です。
別に露天風呂も。

日本の温泉は中国人にも大人気ですが、ツアーで利用するのは大きなホテルの大浴場。
ご夫婦、ご家族で一緒に入浴するのも、ちょっと刺激的で楽しい思い出になるでしょう。


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私が洗うお手伝いをした石。翌日はこれを戻してこんな風にきれいになりました。




2015年01月13日

大橋仁氏のセックスワーカー無許可撮影展示について正規の対応を求めます

「一方的に謝るのではなく、また、開き直りや無視もせず、何が問題 だったか美術館自身が考えることを求めます」
という姿勢に共感し、私も賛同しました。 
宛先は東京都写真美術館です。

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kumie62 at 16:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!憲法 

今の日本のだからこそ聞きたい 故マリオ・クオ元ニューク州知事の演説

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 2015年1月1日、元ニューヨーク州知事マリオ・クオモ氏が82歳でその生涯を終えた。
アメリカの各メディアは大々的にその訃報を伝えた。特に目を引いたのは、「元ニューヨーク州知事にしてリベラルの灯台 マリオ・クオモ 82歳で死去」と題したNY Timesの特集記事だ。以下はその抜粋です。<文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>


 アメリカの有権者たちは、不況の元凶のように見えた社会福祉重視の経済政策や、人権外交の掛け声にもかかわらず発生したイランアメリカ大使館人質事件を理由に、民主党の打ち出す「優しいアメリカ」路線に飽き飽きしていた。

 その反動として、レーガンの唱える、新自由主義的な「レーガノミクス」やタカ派的な外交姿勢などの「強いアメリカ」路線を熱狂的に支持していた。

 事実、レーガンは前回の大統領選挙で、民主党の「優しいアメリカ路線」を徹底的に批判し殊更に「強いアメリカ路線」を打ち出すことで、地滑り的大勝利を収めていた。「優しいアメリカ」を見限り、レーガンに投票した民主党員がいたほどだ。おそらく今回の大統領選は、ひきつづき極めて困難な戦いになるであろう

 そんな情勢のなか、クオモは、民主党党大会の基調演説を引き受けた。

 この演説でクオモがとった戦略は、「レーガンの主張を真正面から否定する」そして「リベラルとしての原理原則を強調する」という極めてシンプルなものだった。

 1984年、サンフランシスコで行われた民主党党大会の基調演説で、クオモは次のように切り出した。

「大統領閣下は先日、この国を『高台に佇む輝かしい街』と形容された。なるほど、確かに見ようによれば、この国は『輝かしい街』かもしれない」

 そう、このスピーチに先立ち、レーガンは自分の業績を自画自賛していたのである。その話を引き合いに出し、彼は、こう続けた。

「確かに、ホワイトハウスのポーチや金持ちのお仲間が集まるあなたの保養地からみたら、そりゃこの国は『高台に佇む輝かしい街』に見えるでしょう。しかしこの『輝かしい街』には影の部分がある。(中略)『輝かしい街』の”輝き”が差し込まない地下室で寒さに震える老人たち、”輝き”さえない路上での生活を強いられる人たち、”輝かしさ”のかけらもないゲットーで、仕事も教育の機会もなく毎日毎日ドラッグディーラーにむしりとられる若者たち。大統領閣下。あなたのおっしゃる『輝かしい街』には、あなたには見えていないそしてあなたが見ようともしない場所があるんです!」
と、徹底的にレーガンの自画自賛を否定したのだ。

 クオモのレーガン批判は、レーガン大統領が喧伝する「レーガノミクス」にも及んだ。

「レーガン大統領は、『社会ダーウィニズム』だの『適者生存』だのと言う。『政府がなにもかもするのはおかしい』と言う。競争に勝ち残った強者を保護し、残りは市場原理がなんでも解決すると。(中略)共和党はフーバー大統領時代、この路線を『トリクルダウン』と呼んでいた。いま、共和党はこれを『サプライサイドエコノミー』という。しかしこの路線では、一握りの金持ちが『丘の上の輝ける街』が住むことができるだけで、締め出された人々は、遠くからその光を眺めるしかないのは明らかだ!」

 つまり、クオモは、新自由主義路線の基調である「適者生存原則」や「頑張った人が報われる社会原則」は、社会を向上させるどころか、格差を広げるばかりであり、「トリクルダウン」など発生するわけがないと、1984年の段階で指摘していたのだ。

弱体化したリベラリズムはどうやって復権すべきか?

 レーガンの自画自賛と新自由主義を批判する一方、クオモは自信を無くしかけていた民主党に「リベラル諸原則」に立ち戻るよう呼びかける。その諸原則の一部を引用すると次のようになる。

●公平性と合理性を原則とした政府を目指すべきこと

●公平かつ強固な法秩序を目指すべきこと

●「愛」と「思いやり」という言葉を使える「強さ」を持った政府を目指すべきこと。そして、理想を具体的政策に落とし込める「賢さ」を持った政府を目指すべきこと

●才能ある人を応援するのは当然だが、「適者生存原則」などは動物界の原理であり、人間のための政府は、もっと高邁な理想で運営されるべきこと

●何千億ドルもの予算を費やして大量破壊兵器を開発できる政府であるのならば、中流階級の日常を支援し、働く意思のある人には就業のチャンスを提供し、ホームレスにはシェルターを提供し、高齢者と乳幼児を援助できる政府を目指すべきこと

●生は死に優るという単純な事実を直視し、平和は戦争に優ると信じるべきこと

●労働組合運動に誇りを持つべきこと

●プライバシーを尊重し、透明度の高い政府を目指すべきこと

●人権を尊重すべきこと

●人種や性別や出身や政治的信条を超えて、お互いの重荷や幸運を分け合える社会を目指すべきこと

 前回の大統領選での敗北から、自分たちの思想的基盤にさえ懐疑的になっていた民主党員たちに、クオモはあえて原理的な原則を提示することで奮起を促した。

 これほど端的かつ明確に、アメリカ的なリベラルの原則を演説という形で言語化した政治家は、おそらく、マリオ・クオモただ一人であろう。

 結局、1984年の選挙では、民主党のモンデール候補はレーガンを破ることができなかった。その後も、レーガン政権、ブッシュ政権と、クリントン政権が誕生するまでの12年間、共和党が大統領を独占しつづけた。しかし、クオモが提示した「新自由主義へのアンチテーゼ」と「リベラル諸原則」は民主党の基本姿勢として再確認されつづけていき、クリントン政権やオバマ政権で再び日の目をみることとなった。

 クオモ自身も、その後、ニューヨーク州知事としてこのリベラル諸原則を忠実に守り続けた。州議会が死刑導入法案を出すたびに拒否権を発動する彼の姿は、ある種、風物詩となっていた。また、ローマカトリックの敬虔な信者であるにもかかわらず、自分の宗教的信条より女性の権利を優先し、妊娠中絶の合法化にも動いた。州議会や有権者から弱腰さや優柔不断さを批判されながらも、彼は、彼自身が言語化した、リベラル諸原則に忠実に、ニューヨーク州政を運営し続けたのだ。

クオモ演説が現代の日本で持つ「意味」

 2年前の衆院選での自民党の地滑り的な勝利以降、日本のリベラル勢力は、1984年のアメリカのリベラル勢力のように自信を失ったままでいる。さらに昨年暮れの衆院選が追い打ちをかけた。日本の民主党は議席を伸ばしたものの、党首が落選するという手痛い打撃を受けた。安倍政権はいよいよ自信をつけ、「アベノミクス」「美しい日本」などの掛け声が日本を覆っていくであろう。

 「レーガノミクス」と「丘の上の輝かしい街」を喧伝したレーガンに対し、「レーガノミクスはまやかしである」「トリクルダウンは起こらない」「影で苦しむ人々をみろ!」と真っ向から対峙し、「人権を尊重しよう」「透明な政府を目指そう」「軍拡より社会保障を拡充させよう」「中流階級を増やそう」と愚直に叫んだ、1984年のマリオ・クオモの演説は、自信をなくした日本のリベラルにとって、「リベラルの灯台」からはなたれる、一筋の光明のように思えてならないのだ。

動画もありました。


kumie62 at 15:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!政治 | 憲法

2015年01月12日

ブータンンを先例に過疎を生かした観光を!

image 西水美恵子さんは元世銀副総裁。女性経営者の集まりでブータンの先代の国王のリーダーシップ論について講演いただいたことがあります。

 写真は毎日新聞1月11日朝刊の時の風:地域の国際化から。
 「過疎化は静寂化、田舎は異邦人を虜にする魅力を持つ。自然を守りつつ活用する人里の景観。人々の絆と結。観光バスで来る大勢の外国人を迎える国際化ではなく、ゆっくり休暇を楽しむゆとりのある層をターゲットにした観光の国際化を目指すべき」
 と先例として「ヒマラヤの秘境」観光立国を成功させたブータンの戦略を上げています。

 ブータンのツーア料金は4人のツアーで1人分が1泊250ドル(食事、ガイド、車代を含ム)。手織りのキラも気に入ったものは10万円を超していた。途上国としては高いので、自国フェアトレード?と思ったのだけれど、そういうことだったのかと納得しました。

2015年01月11日

安倍政権にいじめられている沖縄を故郷納税で支援

全敗したからといって、安部政権のやり方は汚すぎ。

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kumie62 at 22:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!政治 

2015年01月09日

新国立競技場建設を反対し、みんなの小さな光で国立競技場を照らそう

キラキラウォーク









1月17日(土)17時、新国立競技場建設反対デモをします。
デモと言っても、キラキラウォーク、競技場の周りをライト持って歩きます。
静かで楽しいウォーキングになりそうです。

みんな何か灯りを持って参加しましょう。
灯りを用意するので、灯りなし参加も歓迎だそうです。

詳しくは
http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/

IOCは既存施設の利用、分散開催の了承含め、持続可能なオリンピックに向けて舵を切りました。
舛添知事もより安価で効果的なオリンピックにしようと努力しています。
ひとりJSCだけが相変わらず重厚長大型のスタジアムの既定路線を進むつもりのようです。

解体入札は不調、官製疑惑などで遅れておりましたが、12月に北工区・南工区ともに解体業者が決まり、1月末より解体が始まる模様です。

17日は最後のデモになるかもしれません。
そしたら、次は設計変更の運動です。




2015年01月05日

これも日本のマスコミは報道しなかった 昨年のダボス会議

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facebook北岡高氏より

渡辺謙さんのダボススピーチ全文は次の通り。
東京新聞Webより

「初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしてる。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。
絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし、度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。」
Source:http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2012/davos/
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天国からの聲、響け!

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kumie62 at 17:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!政治 | 憲法

月とスッポン

月は上、スッポンは下
北川高嗣さんのFacebookのシェアです。
スッポンがかわいそう!というコメントも。

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2015年01月04日

天皇のお言葉をまた削除!

確認していませんが、朝日新聞が、昨日のブログに書いた天皇の元旦のお言葉のこの部分

「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」

を削除したとか。
まさか!

kumie62 at 15:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!憲法 | 政治

2015年01月02日

新年の天皇のお言葉 (2015.1.1)

image傘寿にあたってのお言葉が一部カットして報道されたので(NHK)今回はカットできないよう短い文章にされたようです。(写真は2日の一般参賀‐朝日新聞)

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昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また、東日本大震災からは4度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。

昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。
多くの人々が亡くなった戦争でした。

各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。

この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

この1年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります

kumie62 at 21:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!憲法