2005年10月31日

手仕事で女性の自立を支える

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 今日の卓話は刺繍家の久家道子さん。75歳、身長150センチもない小柄な女性ですが、まだまだ現役でエネルギッシュなお話でした。羽仁もと子の自由学園は働くことの重要性をしっかりと教育する学校で、寮の食事も学校の食事もみんなで作るそうで、彼女はその食事作りで料理が面白くなり、料理を仕事にしたいけれど料理の学校がないので、料理が上手いというスウェーデン人の家庭を紹介され、三度の食事を作りに通っていく中で、刺繍その他、夫人の手仕事の素晴らしさに惹かれ、自由学園の美術教育、手芸家であったお母様の影響も加わって刺繍の世界に入り、1956年にスウェーデン刺繍を創作発表、その刺し方を書いた本はミリオンセラーになったそうです。

 バングラディッシュの刺し子タイのメオ族のアップリケも日本に紹介しています。単なる文化の紹介ではなく、彼女は日本人に売れるためのデザインを提供し、彼女のデザインで作ったものを買い上げて日本で売る。。。とビジネスに仕上げて、女性たちの自立を支援し続けているそうです。

 中国とも縁が深く、中国の市民が文化大革命終息で盛り上がりっている場に居合わせ、「これで、中国の女性に刺繍を教えることができる」と思ったそうで、以来、30年、中国に通い、刺繍を教え続け、今は、1万人の中国女性が刺繍を仕事として働いているそうです。NTTの刺繍電報 も彼女のデザイン、中国女性の手刺繍で15年続いています。

 「女の子は泣かない。お母さんが泣いていたら、子供たちはご飯を食べられない。悲しかったら、針を持ちなさい。針を持っていれば涙は出ない。」という、父方の一族のゴットマザーの言葉が思い出します。伯母は住み込みの女中さんたちに、夜、和裁を教え、(給料代わりに)反物を買い与え、自分の着物を自分で縫って、普段着の銘仙から礼装用の着物まで、自分の力で嫁入り支度を整えてさせていました。女性の職場がなかった時代でも、和裁ができれば内職ができました。しっかりした仕立てができれば、未亡人になっても子供の一人や二人を育てることができました。アジアの女性たちとかつての日本の女性たちの針仕事が重なります。久家道子さんと伯母が重なります。



kumie62 at 17:11│Comments(0)TrackBack(0)clip!女性と仕事 | 着物

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