2006年06月12日
ネパールの山奥に住みついたOKバジ
ネパール語でバジはおじいちゃん、垣見一雅さんがOK,OKっていうのでついたあだ名だそうです。
垣見さんはもと私立順心女子学園の英語の先生、アンナプルナベースのトレッキングで雪崩に遭い、垣見さんの荷物を持ったシェルパを亡くした。ネパールに「借りが」ができた。。。との思いがきっかけで、1993年から、単身、ネパールの奥地ドリラマ村に住み、年間200日以上、ネパールの山奥を歩き回って支援し続けておられる方です。
ネパールには、ユネスコ他、多くの援助が入ってくるが被援助地域は都市部に近い農村、車も入っていかない山奥は国際援助からも取り残されたまま。どの村でもOKバジの訪問を待ってくれているのだそうです。
ビザーの更新で年に1回日本に戻ってくるのを利用して資金、物資を集めてドリラ村に帰るそうです。多くの国際援助の70%が諸経費、被援助者に回るのは30%と言われているそうですが、彼のプログラムの諸経費は彼の旅費程度、後は全て現地の支援に使われているとか。140円の電車賃を節約して30分歩くと往復の電車賃で現地ではお米が10キロ買える。。。と、船橋から自宅の東武線塚田まで、毎日、歩いておられるそうです。OKバジという本も出ています。
垣見さんはもと私立順心女子学園の英語の先生、アンナプルナベースのトレッキングで雪崩に遭い、垣見さんの荷物を持ったシェルパを亡くした。ネパールに「借りが」ができた。。。との思いがきっかけで、1993年から、単身、ネパールの奥地ドリラマ村に住み、年間200日以上、ネパールの山奥を歩き回って支援し続けておられる方です。
ネパールには、ユネスコ他、多くの援助が入ってくるが被援助地域は都市部に近い農村、車も入っていかない山奥は国際援助からも取り残されたまま。どの村でもOKバジの訪問を待ってくれているのだそうです。
ビザーの更新で年に1回日本に戻ってくるのを利用して資金、物資を集めてドリラ村に帰るそうです。多くの国際援助の70%が諸経費、被援助者に回るのは30%と言われているそうですが、彼のプログラムの諸経費は彼の旅費程度、後は全て現地の支援に使われているとか。140円の電車賃を節約して30分歩くと往復の電車賃で現地ではお米が10キロ買える。。。と、船橋から自宅の東武線塚田まで、毎日、歩いておられるそうです。OKバジという本も出ています。