2010年07月09日

山東省威海に行ってきました

20100706weihai山東半島 中国山東省威海市に行ってきました。
 この地図は私のブログで紹介したそれでも日本人は「戦争」を選んだの第1次世界大戦の章にあったものに威海を加えたものです。

 韓国の仁川空港から威海空港までは1時間です。威海港から大連行き、韓国行きの船も出ています。韓国を併合し遼東半島をとった日本がここ山東半島も確保し、海からでも空からでも中国を攻めることを可能にしたかった。。。。のを確認することになりました。

20100706weiha大学正面20100706weihai大学 






  今回の旅行の目的はハルビン理工大学栄成学院訪問です。この大学は栄成市(威海市の区にあたる)にあった工業系短大の栄成学院を基に山東省の栄成市と黒龍江省のハルビン理工大学の合弁で創設した新しい大学で、2008年から学生を募集しており、学生の入学にあわせて校舎を建築中です。左の写真の遠くに見える建築中の建物は教員宿だそうです。一気にこれだけの規模の大学開発をしてしまう。中国はすごい。

 ハルピンといえば「ハルピンまでも攻め入って、クロポトキンの首を取り、東郷大将万々歳・・・」という童歌が記憶に残っています。あれはお手玉歌だったようです。お年寄りがあの歌を懐かしがっておられるということは、子供心には歌詞に書かれた戦争の悲惨さ、残酷さへ思いは全くなく、戦勝で沸き立っていた時代の空気の中で遊んだことが懐かしい記憶になっているのでしょう。

 戦勝国民の反応となれば、あの悲惨な人海戦術で日露戦争を勝利に導いた二百三高地でさえ、女たちは二百三高地という髪型を流行させていたことも連想してしまいます。

 それでも日本人は「戦争」を選んだに書かれていた日本が南洋諸島を占領した時期に流行った歌「私のラバさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人」も覚えています。酋長の娘さんと仲良くなった「日本の占領は良い占領」だったという宣伝の役目をした流行歌だったのでしょうけれど、その後、多くの日本兵が戦死(ほとんど餓死)していますのに、戦後も懐かしのメロディーとしてラジオか何かで流れてということでしょう。私は終戦時3才だったのですから。。。。

kumie62 at 20:24│Comments(0)TrackBack(0)clip!

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