2011年12月20日
張謇の別邸
南通博物館のある博物苑の敷地内に张謇の別邸があります。というより、この一帯が张謇の所有地だったのでしょう。
建築後100年は経っている建物ですが、今も誰かが住んでいるようにきれいに管理されています。しっかりとした建築で内装は重厚ですが華美ではありません。张謇に関する資料のなかに中国で初めて発行された株券なども展示されています。
张謇は紡績業で南通を豊かにし、文化、教育に力をいれていますが、まちづくりにも意欲的でした。青島や上海のように外国人による街ではなく中国人自身による街をつくろうとしたのです。1900年代の初めに住居地域、文教地域、工業地域などの都市計画を立てて開発しています。
そういう歴史があるためでしょうか、建築は南通の基幹産業のひとつになっています。上海のビルの4分の1、南京の3分の1、青島のビルの5分の4、すべて南通人によって建てられたと言われ、建築界の中の優秀な章はいつも半分近く、南通の人が取っているのだそうです。
教育家でもあった张謇の別邸は、当時、建築に携わる人たちにいい建物を建てる実践教育だったでしょうし、いい建物を見せることで後世の建築家を育ててきたのかもしれません。
建築後100年は経っている建物ですが、今も誰かが住んでいるようにきれいに管理されています。しっかりとした建築で内装は重厚ですが華美ではありません。张謇に関する資料のなかに中国で初めて発行された株券なども展示されています。
张謇は紡績業で南通を豊かにし、文化、教育に力をいれていますが、まちづくりにも意欲的でした。青島や上海のように外国人による街ではなく中国人自身による街をつくろうとしたのです。1900年代の初めに住居地域、文教地域、工業地域などの都市計画を立てて開発しています。
そういう歴史があるためでしょうか、建築は南通の基幹産業のひとつになっています。上海のビルの4分の1、南京の3分の1、青島のビルの5分の4、すべて南通人によって建てられたと言われ、建築界の中の優秀な章はいつも半分近く、南通の人が取っているのだそうです。
教育家でもあった张謇の別邸は、当時、建築に携わる人たちにいい建物を建てる実践教育だったでしょうし、いい建物を見せることで後世の建築家を育ててきたのかもしれません。