2015年10月25日

ニッポン大音頭時代 「東京音頭」から始まる流行音楽のかたち

20151021ニッポン大音頭時代 「東京音頭を東京の民謡、民踊として次世代に伝えたい」という江戸っ子のふたりの思いで、東京音頭・平成版《大江戸東京音頭》を誕生させて11年になります。

振付発表会第一回練習会”の告知が読売新聞に掲載されると

「戦地で踊った。」
「舞鶴沖の引き揚げ船上で、大人たちが踊っていた。」

  等々の反響があり、「東京音頭」が戦前、戦中、敗戦、廃墟からの復興という激動の昭和を庶民に親しまれた昭和を代表する名曲と実感したのですが、この本で更にいろいろわかりました。

  東京音頭が誕生する前年の昭和7年、丸の内、有楽町界隈の旦那衆が町興しとして「丸の内音頭」を作り、盆踊り大会を開催しています。これをきっかけに、全国から集まっている東京の人たちが一緒に踊れる盆踊りにしようと歌詞を変え、東京音頭が誕生します。これが都民だけでなく全国的大ヒットになりました。
  尚、この日比谷公園で丸の内音頭を踊る盆踊り大会は、日比谷公園内の松本楼さんにより復活しています。

  筆者大石始は東京音頭の一大ブームについて『近代日本流行歌の父 中山晋平伝』(菊池清麿著)に、

  「迫りくるファシズムのうねりと崩壊の到来という外部からの危険信号に対する過剰な反応ー不安と絶望かの状況から回避するために熱狂への“はけ口”を求めた、無統制なマス・ヒステリックな衝動、思考の麻痺状態と定義し、続けて、”昭和のええじゃないか”と位置付けた。」

とあるのを紹介しながらも、

  「だが、東京音頭に熱狂し、路上まで飛び出して踊り続けた人々のエネルギーをそうした時代背景だけで説明できるとは到底思えない。確かに『不安と絶望の状況から回避するために熱狂への“はけ口”求めた、無統制なマス・ヒルテリッックな衝動』ではあったかもしれないが、その衝動に火を点けたのは、やはり東京音頭という優れたダンスナンバーそのものだった。」

と言います。

 東京音頭の大ヒットは、私たちには想像できない大ヒットだったようで、ついには、
 「この非常時に軟弱な踊りにうつつをぬかすとはもってのほか」だとして『東京音頭撲滅同盟』
なるものもできたとか。

 そういう批判はあったけれど、当時の東京音頭には、戦後、GHQにより削除された「東京よいとこ日の本照らず。君が御稜威は天照らす。」という歌詞があり、皇室中心主義で思想善導になるとして受け入れられ、翌昭和9年以降、各地のご当地ソング〇〇音頭が次々リリースされ、台湾音頭、朝鮮音頭も。この流れは思想善導だけでなく、国威高揚、戦争賛美となり、東京音頭を作曲した中山晋平も国策に添った曲を作っている。

 私たちがプロデュースした「東京音頭」を「大江戸東京音頭」としたいと、作詞の著作権者である西條八十氏のご長男西條八束氏(2007年逝去)にご相談した際、
 「父は、歌詞を変えるのを許しませんでした。替え歌が戦歌になったことがあったのです。」
と言われましたが、平成版にも盆踊りの振付があり、同じ曲名では盆踊り会場で混乱することを理解いただき、著作権専門の同僚の教授と相談され、東京音頭・平成版「大江戸東京音頭」とすることで許可していただきました。そんなことから、西條八十氏は国策に添った歌は書かれなかったと受け止めました。だから、東京音頭の当初の歌詞に「君が御稜威は天照らす」とあったのは残念な気がしましたが、権力におもねったというより、当時の八十氏の天皇に対する自然な感覚だったのでしょう。

 この本は、東京音頭を音頭のスタイルを確立させたものと位置付け、炭坑労働者たちが愛した「炭坑節」、国民音楽とさして利用された音頭、冗談音楽として新展開した音頭、どらえもん音頭のようなアニメソング音頭、アイドル音頭等、流行歌に広げています。

 面白かったのは、戦後最大のヒットだったとう三波春の東京五輪音頭の話。東京五輪音頭は三波春夫(テイチク)だけでなく、三橋美智也(キング)、坂本九(東芝)、橋幸夫(ビクター)、北島三郎・畠山みどり(コロンビア)、藤原一郎(ソノ)、大木信夫。司富子(ポリドール)と発売され、三波春夫版が130万枚と圧倒的に売れたそう。更に、前年に、東京オリンピック音頭(橋幸夫と市丸他)が発売され、映画化もされたけれど、翌年の東京五輪音頭のモンスターヒットで吹き飛んでしまったとか。

 さて、2020年の東京オリンピックでは、どんな音頭が作られるのでしょう。自費出版でCD発売している東京音頭・平成版《大江戸東京音頭》を大々的にリリースしてくれる会社があるといいのですが。。。。


 



 

 




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