家族
2018年01月21日
全ての暴力の大元は子供の頃に受けた体罰の記憶です。
以下は、昨年1月のタケセンの投稿です。昨年も暴力にまつわる事件がたくさんありました。暴力の連鎖を断ち切るために、何度でも確認しましょう。
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わたしたちは、真心をもち、対象にまっすぐに向かい、決して子どもに体罰=暴力をしない人間でないといけません。子どもを叩く、殴る、ぶつ、蹴るという暴力を働いた人は、深い反省をしないとけません。こどもへの体罰という名の暴力は、あらゆる暴力(最大のものは戦争)の発生源です。すべての暴力を生みだす大元はこども時代に受けた体罰の記憶です。実に恐ろしい仕業なのです。こどもに暴力を振るったことのある大人は、ほんとうに深い反省をしないといけません。自分に嘘はつけないでしょう。あなたはどうですか?
これは、わたしの40年間の生々しい教育実践=体験から、間違いなく言えることです。
あなたは、ほんとうに体罰をしませんでしたか?
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また、体罰を受けて育った大人は、建前人間で、体裁のよい人です。有名にこだわる人です。本音は内容より形式という人です。肩書人=「エリート」です。点数が大事で、受験主義の人です。顔をみるとすぐわかります=「顔は顕現する」。人間を不幸にする人たちです。こどもや動物が近寄りません。
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わたしの両親は、一度も体罰はしませんでした。あふれるほどの対話=手真似や身体も使いの対話で育ちました。
体罰の恐ろしさ、理不尽な暴力の怖さとそれへの激しい憤りは、小学6年生の時に学年主任の教師から1回、中学2年の時に体育教師から1回でした。恐怖と憎悪の体験でした。体育教師は翌日、謝罪しましたので、許しますが、学年主任は許していません。
体罰ほど卑怯な暴力はありません。大人が、抵抗できない子供に暴力を振るうことは、何よりも許しがたい悪であり、言葉にできないほどの抑圧です。
根絶しなければならぬ絶対悪と確信しています。
2015年08月03日
自宅でお葬式
実家を継いでいる弟の連れ合いが亡くなりました。
夫婦の話し合いでお葬式は自宅で簡単に。。。とに決めていたそうです。
テントを張る駐車場をお借りしたり、炎天下の路上でお待ちいただくわけにいかないので控室として町会会館をお借りしたり、町会のみなさんや神輿仲間にお手伝いいただいたり、自然の流れて地元のみなさんに伝わりたくさんの方に見送っていただくことになりました。
簡単に。。。ではなくなりましたが、ひとり暮らしになる弟にとってはいいことなのでしょう。
彼女の命は3才から中学2年の7人の孫たちにしっかりとつながっています。
子供たちにとっては、おじいちゃんおばあちゃんの家で、おばあちゃんとお別れできたのはしっかり記憶に残るでしょう。
葬儀屋さんによると自宅葬儀は3年近くやっていないそうです。
2011年11月27日
2011年11月26日
2011年11月24日
サンクスギビングデーは家族が集って会食
11月の第3木曜日が感謝祭:サンクスギビングデー、金曜日も休日になり土日と繋がって4連休になります。日本のお正月、中国の春節のように家族が集まって会食する日なのです。
長女の家に婿殿のお母様、お姉様、次女、次女の息子も来ました。前回、孫息子に会ったのは4年前で高校生、今回は大学生になり、身長180センチを超えていました。
私はサンクスギビングデー初体験です。アメリカの習慣ですから、こういうイベンの日は婿殿が中心で料理を作ってくれます。
サンクスギビングデーのメインデッシュは七面鳥です。丸一日塩水に漬け込みます。こうしてから焼くと肉が柔らかくなるのだそうです。婿殿はライム、レモン、セージ、タイムその他香辛料を入れていました。
七面鳥は美味しいものではないという印象がありましたが、美味しかった!