キューバ
2015年04月15日
キューバのテロ支援国家指定を解除へ。。。から
想像していたより、フェデルカストロさんは若く、お元気のようですね。
キューバはテロ支援国家ではなくなっても、日本は第二次大戦の敵国条項が外れていない唯一の国らしい。
戦後70年、今も占領時と同じようにアメリカ軍が駐留し、日本の航空法に関係なく日本の上空を米軍機が飛び回り、超低空飛行訓練をし(原発のそばに墜落して乗務員が死亡したこともあるとか。そういう場所で低空飛行訓練をしているということは、米軍による原発爆破というオプションもあるという見方も)。
安保と地位協定は憲法の上位にあり、国民の人権が侵され、沖縄の豊な自然が破壊され、米軍基地を出入り口にパスポートなしに自由にCIAが出入国し、そのスパイ行為が明るみに出ても何ら異議を伝えず、ことあるときは、自衛隊は米軍の指揮下に入るという密約まであるそう(公開されている米国公文書があるとか)。
こういう世界でも例のない隷属的地位が続いているのは、アメリカに強要されているからではなく、自民党政府と外務省が自ら望んで隷従しているらしい。費用対効果で引き上げようとした米軍を思いやりり予算を出して引き止めたり。
中国、韓国にしっかり謝罪させず、極東に危機があるかに国民に思わせるのも、米軍にずっと居てほしいから、米軍の役にたつ自衛隊にしたいから。
豊かな暮らしに慣れ、親の庇護から自立できないバカ息子みたい。
以上の太字所見は、
矢部宏治さんの 日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか
によります。
Best Book of 2014 で第一位に選ばれています。
現存する日本の文書、公開されたアメリカの公文書で戦後日本史を確認できる面白い本です。
2011年03月21日
2010年01月21日
CUC(クック、兌換ペソ)とMN(モネダナショナル、人民ペソ)
観光地内のちょっとの移動には三輪バイクタクシーが便利です。割り増しすればクラッシクカーのタクシーもあります。
黄色が外国人用のタクシー、ブルーがキューバ人用のタクシーです。黄色のタクシーは外国人用通貨のCUC(クックまたはセウセ、兌換ペソ)、ブルーのタクシーは外貨と交換できないキューバ人用の通貨MN(モネダナショナル、人民ペソ)で払います。CUCとMNの交換レートは1CUC=24MNで、外国人でもCUCをMNに変更できますが、ブルーのタクシーに外国人を載せることは禁じられています。
キューバの永住権を持っている友人はブルーに乗れるのですが、外国人と一緒の場合は黄色です。アジア系のキューバ人がほとんどいないので、彼女はひとりで乗るときもカルネ(永住権を取得すると得られる身分証明書)の提示を求められるそうです。
サンティアゴで空港からリゾートホテルに行くとき、黄色のタクシーがなくなり、個人タクシーの免許を持った普通の自動車(メーターがない)を利用しました。外国人用の免許ではなかったようで、運転手は空港の警察官に友人がカルネを持っていること、同乗者は彼女の友人であることを説明することに時間を取られていましたし、途中でも2回止めらてれ運転手も友人も証明書のチェックを受けました。
タクシーと違い汽車、飛行機の場合は、あらかじめキューバ人用の座席枠が用意され、CUC価格とキューバ人のMN価格があります。
ハバナからサンティアゴ デ クーパへの移動の際、友人夫妻はMNで買える航空券がとれず、友人は私と一緒にCUCで購入し、夫君は後日、空港でキャンセル待ちしてMNの航空券でサンティアゴに来ました。観光優先で事前予約のキューバ人枠は少なく抑えていますが当日売りならMNでも無理なく乗れたようです。
夫婦が一緒に年越しができなくなったら申し訳ないとハラハラしましたが、妻の日本での収入に甘えず、自身の大学の給料で暮らそうという夫君の拘りには好感を持ちました。
2010年01月17日
Comite de Defensa Revolucion=革命防衛委員会
ハバナ・ビエハ(旧ハバナ)の観光のメッカ、オビスポ通りのMuseo(博物館)です。こういうのもMuseoというのでしょうか、キューバのコミュニティ組織CDR(Comite de Defensa Revolucion)を紹介する展示館です。最近できたようでガイドブックには載っていません。
キューバに住む友人は、
「革命防衛委員会と訳されていることもあり日本ではCDRを誤解している。是非、事実を知ってほしい。」
と言っていました。
左はCDRをイメージする壁画、右は各コミュニティに置かれたCDR事務所です。
左は食料配給所です。ここに住民への告知物が掲示されます。
日本でも戦後の一時期まで配給制度があったことを思い出します。米穀通帳がないとお米が買えないので、林間学校や修学旅行では晒し木綿の袋にお米を入れて持って行って旅館で調理してもらいました。結婚して住民票を移すときには、もう米穀通帳の移動手続は必要ないんだ。。。と思ったことを覚えています。小学校卒業は1955年、結婚は1963年です。
右は医者の住まいです。コミュニティには必ず医者の住まいが用意され医者が地域住民と一緒に暮らしています。
ハリケーンで死者が出ないのもこのCDRが重要な役割を果たしているようです。CDR毎に医師が住んでいるのでCDRは妊産婦や高齢者など優先的に避難させる必要のある住民を把握しており、災害時には優先的に弱者を避難させ、避難所には医師もいることになります。
掲載されていたデータです。
キューバの人口は約1,100万人です。CDRが138,000あるということはCDRが受け持つのは平均80人というコミュニティ規模になります。一世帯2人としても40世帯です。こんな小さな単位に医者を配置し、共に暮らしながら地域住民の健康管理をしていることになります。単位が違ったかと計算しなおしてみました。人口当たりの医者の数が世界一多い国だというのも納得です。ちなみに、人口あたりの楽器の数が世界一多いのもキューバだそうです。
「CDRは日本の戦時中の隣組(となりぐみ)のようなものかな」
と言ったら、友人は
「CDRは日本の隣組とは違う!」
と強く否定しました。隣組というと言葉は柔らかいですし、国民唱歌隣組の歌のように明るく助け合うものとして定着させましたが、実際には、戦意向上、反戦思想摘発、銃後の防衛の役割を担っていました。彼女はCDRにはそういう役割はないと言います。
「Comite de Defensa Revolucion」という名称から考えれば、日本の隣組のような思想統一の役割をもっていた時期があったのでしょうし、政情によってはそうなり得る組織ではあるけれど、今のキューバのCDRは津々浦々まで行き渡ったキューバ独特の町内会組織と言っていいようです。
尚、外務省のホームページに掲載された在キューバ日本大使館のCDRについてのコメントは社会主義国体制下の相互監視システムなので要注意となっています。
たくさんの人がキューバ観光を楽しんでいるヨーロッパの国々のホームページにはキューバについてどう記載されているのでしょうか。キューバに関しても日本はアメリカに追従しているのではないでしょうか。
2010年01月15日
フランス語ガイドでサンティアゴ デ クーパ市内見学
ホテルの市内見学半日コースのオプションツアーに参加しました。フランス語のガイドでした。英語だってほとんど分からないのですから何語だって同じでしょう。説明がほしいところは改めて友人に案内してもらうことにし取り合えずさっとサンティアゴ デ クーパ市内巡りです。
キューバでは犬は繋がれていません。狂犬病は克服しているようです。繋がれていないとストレスがないのか吼えることもないみたいです。
犬も、猫も、牛も、豚も、鶏も白人も黒人もムラート(混血)もみんなお互いを尊重して自分らしく暮らしてしているって感じです。
市内中心部には修理されていない住宅が目立ちます。それでも持ち家比率8割を超えているそうです。
錨のようなマークは民宿の印です。若者たちはこんな民宿で安価な旅行を楽しんでいるようです。
キューバでは犬は繋がれていません。狂犬病は克服しているようです。繋がれていないとストレスがないのか吼えることもないみたいです。
犬も、猫も、牛も、豚も、鶏も白人も黒人もムラート(混血)もみんなお互いを尊重して自分らしく暮らしてしているって感じです。
市内中心部には修理されていない住宅が目立ちます。それでも持ち家比率8割を超えているそうです。
錨のようなマークは民宿の印です。若者たちはこんな民宿で安価な旅行を楽しんでいるようです。
モンガタ兵舎の襲撃の銃弾の跡
1953年7月26日にフィデル・カストロやラウル・カストロたち160人がサンティアゴデクーバのモンカダ兵舎を襲撃し武装闘争をスタートさせたのがキューバ革命の始まりです。
この蜂起は失敗しフィデルカストロは逮捕されますがその後釈放されメキシコに亡命。56年にチェ・ゲバラらとキューバ国内に潜入しゲリラ戦を展開、59年1月、バティスタ政権を崩壊させます。7月26日は革命記念日になっています。
このささやかな銃弾跡に日露戦争に勝利した二百三高知のトーチカの無数の銃弾跡を思わずにはいられません。ロシア兵が銃を向けて待ち構えている長いトーチカの前を走らされ、第3回総攻撃だけで戦死4,958名、負傷者11,584名を出しています。
日露戦争勝利に日本中が沸き立ち、二百三高地の絶壁のように前髪を高く結う「二百三高地」と髪型まで大流行します。あの絶壁を登り切ったところで繰り広げられた惨劇のことなど想像もしなくなっていたのでしょう。
この蜂起は失敗しフィデルカストロは逮捕されますがその後釈放されメキシコに亡命。56年にチェ・ゲバラらとキューバ国内に潜入しゲリラ戦を展開、59年1月、バティスタ政権を崩壊させます。7月26日は革命記念日になっています。
このささやかな銃弾跡に日露戦争に勝利した二百三高知のトーチカの無数の銃弾跡を思わずにはいられません。ロシア兵が銃を向けて待ち構えている長いトーチカの前を走らされ、第3回総攻撃だけで戦死4,958名、負傷者11,584名を出しています。
日露戦争勝利に日本中が沸き立ち、二百三高地の絶壁のように前髪を高く結う「二百三高地」と髪型まで大流行します。あの絶壁を登り切ったところで繰り広げられた惨劇のことなど想像もしなくなっていたのでしょう。
2010年01月14日
2010年01月09日
キューバのリゾートで年越し休暇
キューバ人と再婚した友人が夫君の郷里サンティアゴのリゾートで年越しするので来ないかと誘われ、思いがけず年末年始をキューバで過ごしました。
滞在したホテル・クラブ・アミンゴ・カリソル-ロス・コラレスはキューバ第二の都市であり、キューバ革命発祥の地サンテアィエゴ・デ・クーパの東に広がる国立公園プラヤカコナオ西部劇映画で見たような光景の中の走った一番東にあるるカリブ海に面した長期滞在型ホテルです。
海岸の左手の山の向こうには、イスラム過激派に対する拷問で有名になり、オバマ大統領が閉鎖を約束したアメリカ軍のグアンダナモ収容所があります。
宿泊料金はオンシーズンでインクルーシブで1泊ツイン2人で7000CUC(約7000円)です。
カナダ、ヨーロッパからの利用が多く、スペイン語、英語、フランス語の対応がされています。カナダからはツアーが組まれていて、1ヶ月滞在する人もいるようです。アジア人は私たちだけでした。
インクルーシブというのは3食フリードリンク付きと言うことで、夜11時から海岸で始まるディスコタイムのバー以外、クリスマスや年越しの特別なディナーも含め全ての飲食とホテル内でのイベントへの参加が無料です。浜辺にもレストランもバーもあり、チップ用の1CUC(100円)コインだけあれば財布を持たずに過ごせる気楽さはありがたいです。
ヨットやカヤック等も無料です。スキューバダイビングはボンベ込35CUC(約3500円)。友人は海の状況がよければ毎日のようにスキューバダイビングを楽しんでいました。毎回、違う場所に連れて行ってくれるのだそうです。私はシュノーケルで海岸近くの熱帯魚と遊ぶ程度、木陰でのんびり過ごしました。
キューバのリゾートホテルの特長はアニマドーレというお客さまを楽しませるスタッフたちです。ここには7人のアミマドーレがいて、スペイン語やサルサのレッスンをしたり、プールや浜辺での遊びや夜のショーを企画し、自らもエンターテナーとして歌ったり踊ったり司会をして盛り上げてくれます。彼らはバーの利用とレストランでの夕食が許されており、お客さまの話し相手などもしています。サービス精神に溢れた何とも明るい「国営ホテル」です。
ある日、サンティアゴ大学で医学や電子工学を学んでいる東アフリカのジブチ共和国の留学生たちが日帰り遠足で来ていました。アニマドーレたちは彼らの遠足も盛り上げます。イスラムの女子学生が長袖にベールを被ったままプールに飛び込んでバレーボールに興じ、ビショビショ姿のまま、プールサイドでディスコダンスを楽しんでいました。
年越しのディナーにもアフリカの留学生たちの姿がありました。この日は104人のアンゴラ共和国からの留学生が近隣ホテルに分散して年越しを楽しんでいたそうです。キューバが発展途上国からたくさんの留学生(主に医学生)を無料で受け入れてきたことは知っていましたが、思いがけず、実際にその実際に触れる機会を得ることができました。
アニマドーレだけでなく他のスタッフ達もフレンドリーです。さすがラテン系、チャーミングでスペイン語が上手い友人は「一度僕を試してみない?」何て迫られ?たりも。「何しろ俺は1,100万の大嘘つつきの一味だ。。。」というのはフィデル カストロをアリババと40人の盗賊のアリババ、1,100万の国民をアリババの仲間の盗賊とするジョーク、フィデルのようにハンサムでなく背も低い弟のラウル カストロについては、「ママがよその男とできっちゃった子だ」という冗談も広まっていて、友人が宿泊料が安くなった理由を聞いたら、「俺たち馬鹿には分からない。あのママが。。。。。した例の奴が決めたことだから」と返ってきました。この人たちに一党独裁、思想統一なんて通じないでしょう。
キューバのこういったホテルは外国人専用でしたが、国民からの要望で2008年6月からキューバ人も利用できるようになり、実際にキューバ人家族も宿泊していました。医療、教育が無料、食料は安価で配給されるため、働きたがらない人が増えている反面、頑張れば収入を増やせる道が広がるっているということなのでしょう。
日本でも戦中、戦後には食料配給制度があり「米穀手帳」なしにはお米が手に入らなかったので、就学旅行などのときは各自お米を持参したという私の経験を話したら、友人の夫君が
「キューバと同じだ。フィデルは世界中の情報を集めている。キューバの配給制度は日本を真似たんだ。」
と言っていました。
2009年12月17日
キューバ行きの事前勉強
キューバ男性と再婚してハバナに住む友人が、パートナーの郷里、サンチェゴでクリスマス、正月を過ごすというのに便乗しキューバに行くことにしました。オーシャンスポーツは苦手なので本でも読んで過ごそうかと小説など何冊か注文したのですが、やっぱり事前勉強しようか。。。となりました。
キューバは医療、教育、有機農業で注目されていますが、私が長く関わってきた住宅の分野ではどうなのだろうか?という興味からネット検索し、吉田太郎氏のサイトを見つけました。「『没落先進国』キューバを日本が手本にしたいわけ」は吉田太郎氏の最新刊です。
ソ連崩壊でソ連の支援がなくなり、アメリカの経済封鎖で石油もセメントも鉄鋼も入らなくなったキューバがどうやって住宅を建ててきたか
ハリケーンの通り道で毎年、大被害を蒙っているがどうして死者が0人〜数人ですんでいるのか
国の資金を頼らずに、どうやって歴史的建造物を修復しながらハバナ旧市街全体を博物館のように再開発しているか
全てばら色というわけではなく問題点についても書かれています。
サンチェゴ デ クーパは革命史跡の多いところであり、友人のパートナーのお身内も革命で亡くなられているそうですのです。そういうことならキューバ革命についても少し。。。となり、フィデル・カストロの「チェ・ゲバラの記憶」と「20世紀最後の提言」を取り寄せました。
「チェ・ゲバラの記憶」はチェの死亡情報に対するフィデルの冷静な分析、情に流されない状況伝達の中に溢れるチェへの愛と信頼、繰り返し繰り返し語りかけるフェデルの演説口調とそれを聞く民衆の盛り上がりが想像される文章です。映画「チェ・ゲバラ」では理解できず見流してしまった映像の裏にこんなの事実、こんな思いがあった。。。。。
「20世紀最後の提言」は読み始めたばかりですが、フィデル・カストロは1998年に、10年後のリーマンショックを予言する演説をしています。厚い本なので飛行機の中で読むことになりそうです。
キューバは医療、教育、有機農業で注目されていますが、私が長く関わってきた住宅の分野ではどうなのだろうか?という興味からネット検索し、吉田太郎氏のサイトを見つけました。「『没落先進国』キューバを日本が手本にしたいわけ」は吉田太郎氏の最新刊です。
ソ連崩壊でソ連の支援がなくなり、アメリカの経済封鎖で石油もセメントも鉄鋼も入らなくなったキューバがどうやって住宅を建ててきたか
ハリケーンの通り道で毎年、大被害を蒙っているがどうして死者が0人〜数人ですんでいるのか
国の資金を頼らずに、どうやって歴史的建造物を修復しながらハバナ旧市街全体を博物館のように再開発しているか
全てばら色というわけではなく問題点についても書かれています。
サンチェゴ デ クーパは革命史跡の多いところであり、友人のパートナーのお身内も革命で亡くなられているそうですのです。そういうことならキューバ革命についても少し。。。となり、フィデル・カストロの「チェ・ゲバラの記憶」と「20世紀最後の提言」を取り寄せました。
「チェ・ゲバラの記憶」はチェの死亡情報に対するフィデルの冷静な分析、情に流されない状況伝達の中に溢れるチェへの愛と信頼、繰り返し繰り返し語りかけるフェデルの演説口調とそれを聞く民衆の盛り上がりが想像される文章です。映画「チェ・ゲバラ」では理解できず見流してしまった映像の裏にこんなの事実、こんな思いがあった。。。。。
「20世紀最後の提言」は読み始めたばかりですが、フィデル・カストロは1998年に、10年後のリーマンショックを予言する演説をしています。厚い本なので飛行機の中で読むことになりそうです。
2009年12月14日
キューバ大使の講演とキューバ音楽の夕べ
6月のキューバフォーラムでコシーオ大使のお話を伺っておりますが、もう一度、お聞きしたと参加しました。笹川平和財団の主催です。コシーオ大使は革命戦士として戦った方だそうで、気のおけない場での講演だとそういう話もされるようですが、やはり今日もそういうお話はお聞きできませんでした。
医療支援、協力は73カ国。留学生受入は121カ国から3万(内23,000人は医学生)。これはすごいですね。
アントニオ古賀さんはキューバでキューバのミュジシャンたちの編曲、演奏でキューバナイズした古賀メロディをレコーデングされたりキューバとのご縁が深いそうです。
古賀さんの向こうの女性は珠(たまき)さん。演奏している楽器はスティールパンというカリブのの楽器。ドラム缶を切って作られた音階のある打楽器です。とてもきれいな音色です。珠さんは本場のスティールパンの大会で一位を取っているそうです。彼女を紹介しようとホームページを探したら、YouTubeに演奏付でしっかりと紹介されていました。
医療支援、協力は73カ国。留学生受入は121カ国から3万(内23,000人は医学生)。これはすごいですね。
アントニオ古賀さんはキューバでキューバのミュジシャンたちの編曲、演奏でキューバナイズした古賀メロディをレコーデングされたりキューバとのご縁が深いそうです。
古賀さんの向こうの女性は珠(たまき)さん。演奏している楽器はスティールパンというカリブのの楽器。ドラム缶を切って作られた音階のある打楽器です。とてもきれいな音色です。珠さんは本場のスティールパンの大会で一位を取っているそうです。彼女を紹介しようとホームページを探したら、YouTubeに演奏付でしっかりと紹介されていました。
2009年11月27日
キューバ大使館に行ってきました
今年の年末、年始はキューバで過ごすことになり、ツーリストカードを貰いにキューバ大使館に行ってきました。赤羽橋からすぐ近くで分かりやすそうだったので地図を印刷せずに出かけたところ、ちょっと迷ってしまいました。「大使館らしい建物」がなかったのです。
左がキューバ大使館、右がビザ、ツーリストカードの申請をする領事部、大使館の3軒先です。今のキューバの経済力で東京に大使館を開設するということはこういうことなのでしょう。
アメリカのキューバに対する経済封鎖は1962年以来続いています。国連では18年連続、「米国の対キューバ経済封鎖解除決議」をしています。今年の決議で「経済封鎖解除に反対」しているのはアメリカ、イスラエル、パラオだけです。
2009年06月24日
キューバフォーラム 〜駐日キューバ共和国大使コシーオ氏のお話〜
NPOアクティブミドル国際協会主催のキューバフォーラムに参加してきました。来年、キューバ行きを検討しています。
最初の15分は観光担当書記官(女性)による観光紹介です。
時間がないので世界遺産だけでしたが、歴史的建造物も自然遺産もいっぱい。。。。昨年の日本からの観光客は5,500人、まだまだ、少ないようです。
コシーオ大使は、「主催者からの要望のテーマを理解いただく前提として。。。」という前置きをし、キューバの歴史を簡単に話されました。
アメリカは独立戦争に勝って以来、他国を侵略し続けてきた。キューバーは狙われ続けてきた。。。。
「戦争中毒〜アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由」を連想します。
「カストロはどうしてアメリカにグアンダナモ基地<を提供したのか?」
という質問がありました。
「理解していただけていないなぁ」
という残念さか、コシーオ大使は少し声を高くして説明をされていました。
「提供したわけではない。スペインからの独立戦争に勝利する寸前になってアメリカが(スペインに戦線布告して)キューバに侵入してグアンダナモを占領した。革命に勝利したカストロは、グアンダナモの返還を求めたが、
「双方が合意しないかぎり破棄はできない。」
という不平等条約を押し付けた。永久というのは国際法的には100年だと言われ、香港もマカオも返還された。アメリカのキューバ占領も100年を超えている。。。。(グアンダナモ基地についてはちょっと気になるアメリカの飛び地)
オバマさんは大統領選挙中、来年1月までにグアンダナモ収容所を閉鎖すると公約しています。
この問題について、私たちは収容所内での拷問などの人権侵害にしか興味が及ばなかったけれど、キューバの人たちには、グアンダナモ収容所への注目が、基地の歴史認識に及ばない、基地返還の期待に繋がらないもどかしかがあるのでしょう。
最初の15分は観光担当書記官(女性)による観光紹介です。
時間がないので世界遺産だけでしたが、歴史的建造物も自然遺産もいっぱい。。。。昨年の日本からの観光客は5,500人、まだまだ、少ないようです。
コシーオ大使は、「主催者からの要望のテーマを理解いただく前提として。。。」という前置きをし、キューバの歴史を簡単に話されました。
アメリカは独立戦争に勝って以来、他国を侵略し続けてきた。キューバーは狙われ続けてきた。。。。
「戦争中毒〜アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由」を連想します。
「カストロはどうしてアメリカにグアンダナモ基地<を提供したのか?」
という質問がありました。
「理解していただけていないなぁ」
という残念さか、コシーオ大使は少し声を高くして説明をされていました。
「提供したわけではない。スペインからの独立戦争に勝利する寸前になってアメリカが(スペインに戦線布告して)キューバに侵入してグアンダナモを占領した。革命に勝利したカストロは、グアンダナモの返還を求めたが、
「双方が合意しないかぎり破棄はできない。」
という不平等条約を押し付けた。永久というのは国際法的には100年だと言われ、香港もマカオも返還された。アメリカのキューバ占領も100年を超えている。。。。(グアンダナモ基地についてはちょっと気になるアメリカの飛び地)
オバマさんは大統領選挙中、来年1月までにグアンダナモ収容所を閉鎖すると公約しています。
この問題について、私たちは収容所内での拷問などの人権侵害にしか興味が及ばなかったけれど、キューバの人たちには、グアンダナモ収容所への注目が、基地の歴史認識に及ばない、基地返還の期待に繋がらないもどかしかがあるのでしょう。