着物
2016年01月15日
2011年04月19日
美人心計
「美人心計」、最近私がはまっているテレビドラマの題名です。美人(meiren)は今だとアメリカ人ですが、辞書には「昔時,后の称号」とあります。心計はもくろみ、機略でしょうか。ドラマの舞台は代国とありました。
登場人物が全員、着物のような衣装です。時代を知りたいと確認すると代国は「中国の五胡十六国時代に建てられた鮮卑拓跋部の国。315年から376年まで8主を有し、およそ61年続いた。」 とありました。
着物を呉服というのは呉(222年 - 280年)の機織職人が日本に来て織り方を伝えた。。。ということですが、機織だけでなく着物のデザインも伝えられたことが確認できるドラマです。
2010年12月09日
着物のルーツ
学生から、
「先生は日本から着物を持ってきましたか?」
という質問があり、持ってきたと答えた流れで着て行くことになっています。
着物を着て授業をするなら着物の中日関係を確認しておきたいと思います。そう思っているせいかテレビを見ていると、王朝ドラマの登場人物が着物と同じような衣装を着ているのが目につくようになりました。そこで探した画像です。楊貴妃の映画のスチール写真のようです。衣装だけでなく髪型も日本髪のルーツのようです。
これは中国の古衣装として展示された明時代の女帝の盛装です。日本の皇室の盛装と同じルーツであることが確認されます。
いろいろ検索していたら、何方かのブログに「呉服という言葉の語源は古代中国呉の国から伝わった織物。」とありました。これも辞書で確認しました。
何の資料も持たずにこちらに来てしまいましたが、インターネットのおかげで何とかやれています。
2010年09月06日
極暑の中で綿入れ作業
極暑に綿入れ。。。というと、女中さんたちはお盆休み、子供と孫は別荘で避暑、静かになった家で、住み込みの工員さんたちの布団の綿入れをいていた伯母を思い出します。
これは50年以上昔の話です。もちろん今日はエアコンをつけました。
2枚とも羽織で作りました。亡母の羽織を洗い張りしたのもあったのですが、半纏ならちょと派手でもいいかなとオークションで古着を落札しました。ほんとうに着古した古着で痛んだ箇所はちくちく継ぎ当てしています。
1枚は自宅用、1枚は中国用です。山東省威海市は平均気温12度Cとか、富山あたりと聞いたけれど平均気温でみると秋田でしょうか。
もう1枚古羽織を洗い張りしてしているのですが、中国行きまで1ケ月、そろそろ針仕事している場合じゃなさそうです。
2010年06月28日
2010年06月02日
今年もアメリカから孫が来ています。
今年もアメリカから孫が来ています。毎年1ヶ月ほど日本の小学校を経験させてもらっています。幼稚園からで今年は4年生です。
四つ身の浴衣が小さくなる頃なので本裁ちで浴衣を縫ってあげました。縫い上げて試着したところを1枚!と思ったのですが、顔を隠されてしまいました。
反物は来日前に通販サイトで孫が選んだものです。ベージュの地色に茶色の団扇、金魚も地味なピンクです。おばあちゃんなら絶対選ばないだろう大人びた色合いです。でもとても似合っています。
昔、母に人形の着物を縫ってもらったことを思い出し、浴衣の端切れでリカちゃん人形にも浴衣を縫いました。リカちゃんを持って来ていないので、お人形の洋服を売っているサイトを参考にしました。孫の6分の1サイズです。兵児帯は私のハンカチです。
2010年03月11日
レトロな羽織で
ひとり暮らしの気楽さで、リビングでこんなことをしています。プロに依頼して小柄だった亡母の着物を洗い張りして仕立て直しているうちに、普段着だった自分でやれないだろうかとなりました。
吊っている端の板を張り木、曲がっている竹を伸子針といいます。布1枚ですから室内でも1時間程度で乾きます。
干しているのはオークションで500円で落札したレトロな羽織です。綿入れ半纏を作ろうと思っています。自分の娘時代の羽織でもいいのですが半纏にしてしまうには惜しい。亡母の羽織は地味すぎる....で、YAHOOオークションを初体験してみました。
もう春だから、秋までに縫えばいいので気楽です。。
2010年02月06日
雪の富士を見ながら伊藤悌三絵画展へ
プリントアウトした地図を忘れたので一瞬躊躇いましたが、地図の記憶をたよりに歩くことにしました。和服は重ね着をしているせいか思ったより暖かく、雪の富士山を眺めながらのウォーキングを楽しみました。
伊藤悌三氏が亡くなられて13年、13回忌の区切りにとご子息の伊藤亜人教授夫人が奔走され、ご縁のあった大井町での個展を開催されたそうです。
私と悌三氏とのご縁はスケッチ画集「我が心の隅田川」です。その中の1枚「吾妻橋・凌雲閣眺望」を大江戸東京音頭のCDに使わせていただいています。
悌三氏の油絵を拝見するのは初めてです。1930年代に大作を描かれています。戦後間のない頃までは、美しい奥様の肖像画を含めて色調を抑えた絵ですが、晩年のスペインで描いた絵は明るく鮮やかで裸婦の絵までがきれいな色使いです。どちらかと言えば私は若い頃の絵の方が好きですが、年を重ねてこういう風に変化されたことに感動を覚えました。
今日は茶席も用意いただいて、思いがけず素晴らしいお茶碗を見せていただきました。チャコールグレーに銀を混ぜたような生地に金を少し加えた銀で梅が描かれています。着物にしたら。。。と思うような「派手渋」なモダンな和です。陶芸家の伊藤北斗ご夫妻がお茶碗をお持ちくださったのです。北斗氏は亜人教授の従兄弟だそうですから悌三氏の甥ごさんですね。
2009年12月05日
結婚披露宴ともんぺ作り
お祝いの宴は着物で盛装して行こうと思ったのですが前日の天気予報は雨。それなら
「母の雨コートでもんぺを縫ってみよう!」
と思い立ちました。戦時中の女たちが着ていたという「袴のように前後が別になっている」あのもんぺです。
そこで、「もんぺ、作り方」で検索したら丁寧に説明してくださっているブログがみつかりました。生地の関係でやりくりが必要ですが何とかなりそう。。。とミシン仕立てのおっつけ仕事で何とか仕上げました。
お手本のもんぺのようにはできていませんが、雨の日にコ−ト下に着るだけですからこれで十分でしょう。早速、本日着用しました。
ブログの主の自己紹介欄には
「着物が好き、ついこの前までの『ちょっとだけ古い暮らし』が好き、デジタルの世界でアナログなこと、書いていきます。」
とあります。
ハンドルネームとんぼさん、ありがとうございました!
2005年10月31日
手仕事で女性の自立を支える
今日の卓話は刺繍家の久家道子さん。75歳、身長150センチもない小柄な女性ですが、まだまだ現役でエネルギッシュなお話でした。羽仁もと子の自由学園は働くことの重要性をしっかりと教育する学校で、寮の食事も学校の食事もみんなで作るそうで、彼女はその食事作りで料理が面白くなり、料理を仕事にしたいけれど料理の学校がないので、料理が上手いというスウェーデン人の家庭を紹介され、三度の食事を作りに通っていく中で、刺繍その他、夫人の手仕事の素晴らしさに惹かれ、自由学園の美術教育、手芸家であったお母様の影響も加わって刺繍の世界に入り、1956年にスウェーデン刺繍を創作発表、その刺し方を書いた本はミリオンセラーになったそうです。
バングラディッシュの刺し子、タイのメオ族のアップリケも日本に紹介しています。単なる文化の紹介ではなく、彼女は日本人に売れるためのデザインを提供し、彼女のデザインで作ったものを買い上げて日本で売る。。。とビジネスに仕上げて、女性たちの自立を支援し続けているそうです。
中国とも縁が深く、中国の市民が文化大革命終息で盛り上がりっている場に居合わせ、「これで、中国の女性に刺繍を教えることができる」と思ったそうで、以来、30年、中国に通い、刺繍を教え続け、今は、1万人の中国女性が刺繍を仕事として働いているそうです。NTTの刺繍電報 も彼女のデザイン、中国女性の手刺繍で15年続いています。
「女の子は泣かない。お母さんが泣いていたら、子供たちはご飯を食べられない。悲しかったら、針を持ちなさい。針を持っていれば涙は出ない。」という、父方の一族のゴットマザーの言葉が思い出します。伯母は住み込みの女中さんたちに、夜、和裁を教え、(給料代わりに)反物を買い与え、自分の着物を自分で縫って、普段着の銘仙から礼装用の着物まで、自分の力で嫁入り支度を整えてさせていました。女性の職場がなかった時代でも、和裁ができれば内職ができました。しっかりした仕立てができれば、未亡人になっても子供の一人や二人を育てることができました。アジアの女性たちとかつての日本の女性たちの針仕事が重なります。久家道子さんと伯母が重なります。