地震・原発事故

2015年02月03日

東京ブラックアウト−原発再稼動が殺すのは大都市の住民だ‼︎

image昨年の12月4日発売の新刊です。
帯封の推薦文には、
「この小説は95%はノンフィクションだ」
とあります。
2014年迄のストーリーは、筆者の目で見たノンフィクション 。
2015年からのフィクションは怖い展開。
第2の原発事故は地震や津波などではなく、たった2人の男で首都圏か廃墟に。。。。

しかし、第2の福島が起きても、与党は原発政策を変更しない。
選挙では脱原発勢力が勝利するが、即時廃止とは宣言していない脱原発勢力が巨大電力マネーに絡め取られ、与党と連立政権を組み、脱原発政府はできない。










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2015年01月05日

これも日本のマスコミは報道しなかった 昨年のダボス会議

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facebook北岡高氏より

渡辺謙さんのダボススピーチ全文は次の通り。
東京新聞Webより

「初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしてる。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。
絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし、度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。」
Source:http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2012/davos/
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月とスッポン

月は上、スッポンは下
北川高嗣さんのFacebookのシェアです。
スッポンがかわいそう!というコメントも。

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2014年06月04日

ヒデさんはスゴイ!

ヒデさんはスゴイ! 東京新聞の記事です。
 一昨年2月、雪の仮説住宅でお目にかかり、可愛い祈りのお人形さんも見せていただきました。

 「津波は憎い。でも、なければ出会わなかった多くの人の善意、有り難い。生かされています。」
 ヒデさんの言葉です。

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2012年05月14日

地震が多い国だなぁ。。。。

c969f91b.jpg デジカメの記録カードが壊れてしまいました。今年の1月末、観光地の売店で買ったものです。写真が撮れないままブログ更新もしないでいました。心配してくださる方々がメールをくださったので、更新しました。

 この写真は今見ていたパソコン画面です。京成線、千原線が15時から間引き運転を始めた。。。なんていう字幕もありました。東日本大震災の翌日とか翌々日の放映でしょうか。
 
 動画サイトの日本のテレビドラマにはこういった地震情報も残されたままです。目にするたびにいつの放映分なのだろうかと思います。それにしても、地震が多い国です。

 そう、NHKの今年の大河ドラマも3回くらいまで載ったあと削除されました。NHKから異議の申し立てがあったのでしょう。

 

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2012年04月18日

成長期なのに子供の体重が減少

c5a0e5b0.jpg  ミクシのつぶやきからです。

  宮城内の低学年児童では発育期にもかかわらず、少なくとも20%以上の児童に体重の減少、停滞がみられた。
  2年生女子の体重は1年間で平均3キロ増加するとされるが、昨年8月からことし1月までの間に1.2キロ減少した女子児童もいた。
  ストレスの影響だろうということです。

  河北新報の記事です。



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2012年02月26日

仮設住宅を出るときまでに整理たんすを作りたい

734a46a7.jpg 仮設住宅で一人暮らしの佐藤ヒデさんを訪問しました。

 避難所暮らしから岩手県内の沢内村(合併して西和賀町)の温泉のホテルに移動し、その後、仮設住宅に入ったそうです。

 沢内村は映画「いのちの作法」の舞台です。一年の半分を雪で閉ざされる沢内村の皆さんの暮らしぶりに敬服し、
 「私たちは全てを失い一からのスタート、(沢内村のみなさん以上に)頑張らねばならない}
 と背中を押されたようです。

20120224ヒデさんの木工20120224ヒデさんの尼さん人形20120224ヒデさんのバック





 「ミシンが使えれば糸鋸も使える。」
 82才で初めて電動糸鋸を使ってみた佐藤さんが断言されました。
 4月からスタートする木工教室に参加し、仮設住宅から引っ越すときまでに整理タンスを作れるようになりたいとおっしゃっています。

 真ん中は佐藤ヒデさんが作った尼さん人形です。親類7人が津波で亡くなったので7つ作ろうと思ったそうですが、もっとたくさん作るようです。

 右のバックの生地は古ズボンから取ったものです。手縫いです。


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越前高田を世界に通用するきのこの産地に!

20120223しいたけ20120223しいたけの里








 陸前高田2日目の朝、雪の中を“きのこのSATO”に案内していただきました。“きのこのSATO”はしいたけときくらげを生産、販売している会社です。

 津波で田んぼも畑もやられた。塩を抜き、再度田んぼや畑をつくるのは時間がかかる。けれど、ハウスを使ったきのこ栽培であれば農業ができる。

 さらに、国産の生キクラゲは、市場に存在しないといわれているほどめずらしい。中でも“きのこのSATO”キクラゲは肉厚。ミネラルを含んだ湿り気のある海風や、それをうまく取り入れられる地形が関係しているらしい。

 「越前高田を世界に通用するきのこの産地に!」
 
佐藤社長の復興への夢は大きく膨らんでいる。




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被災者宅でのおもてなし2

6e30161d.jpg 高台の家なので被災を免れたお宅だと思ったら、やはり被災者でした。知り合いの空き家を仮り仮設住宅として借りられたのだそうです。一部をボランティアの拠点として提供されています。

 ご家族は3人、自宅で彫銀の仕事をされていたご主人が川の水が減っていることから津波に襲来に気付き、車でご子息を迎えに行った後、高台に逃げようとする奥様と合流できたのだそうです。車の混雑等から、後30秒早くても遅くても助からなかったとおっしゃっていました。

 お話しを聞かせていただくだけと思ったら、昼食の用意をしていてくださいました。

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被災者宅でのおもてなし1

2f3cdaa3.jpg 建物崩壊を免れたお宅ですが、前庭の塀が壊れ、裏手は瓦礫の山、ご遺体も。。。。だったそうです。
 そんなお宅で夕飯をご馳走になりました。三陸の生わかめがおいしい!

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がんばれ日本

a120727e.jpg 最初に訪問した縫製工場でいただいた自動販売機のコーヒーの紙コップです。これは元気になリそう。

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2012年02月25日

雪の中の一周忌の法要

 陸前高田2日目は普門寺にお参りしました。震災で亡くなった方の一周忌の法要が行われていました。雪のなかを本堂裏手に人が向かっています。ご遺族でしょう。
 
 普門寺では身元不明のお骨、身元が判明したけれど引き取り手がないお骨を預かり供養されています。本堂内のご遺骨それぞれにお供えがされていました。

20120224普門寺120120224普門寺220120224普門寺3

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2012年02月24日

遅ればせながら被災地訪問

 私は中国ましたので、東日本震災はインターネットで知る程度でした。今回の帰国中に被災地に行きたいと友人に相談し、友人が応援している陸前高田に行ってきました。

 平地は全て壊され、ほとんと全市が壊滅。瓦礫は大分片付いてきていますが、復興を感じさせるものが見えません。

 8メール地盤をかさ上げすることに決まっているそうです。そんなことをしたら地盤整備に何年かかるやら。土建業者はウハウハだろけれど、地元の働き手はいなくなってしまう。。。。

20120223高台から120120223壊れた鉄道20120223一本松






諏訪神社の上まで逃げた人、階段の一番上まで上れた人は助かった。
避難所に指定されていた体育館にも天井まで津波が押し寄せ、天井の梁をつかめたわずか数人が助かっただけだった。

20120223諏訪神社20120223最上で助かった20120223体育館

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2011年04月24日

やっぱり日本が気になって

ほんとうなのだろうか。
則、実用化できるなら凄いことですね。
ウォール・ストリート・ジャーナル日本版です。

20110423powder
太田富久教授とクマケン工業が開発した粉末

20110423after
除染実験のために用意されたヨウ素とセシウムの混ざった水

20110423before
粉末をかき混ぜて10分。セシウムとヨウ素がビーカーの底に沈殿

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2011年04月21日

菅政権について

菅直人が好きというわけではないけれど、神輿は担ぎあげたら途中で放り出していいものではない。担ぎ手が疲れたら、担ぎ手を交替して宮入まで担ぎ続けるものでしょう。それが担ぎ出した国民の責任だと思うのです。

以下はこちらのブログの転載です。

政治動向・政局がまたざわざわと動き始めた、菅降ろしである。 私はこのような国難の時にそのような行動を取る政治家と、それを野次馬のように見て喜んでいる国民が全く情けない。

いったい菅を引き摺り下ろして誰を後釜に据えれば気が済むと言うのだ。少なくとも原発政策を推し進めてきた自民党はその任に当たらない。今後、原発問題は徹底的に追求する必要があり、自民党の座るべき場所は被告人席である。それでは、民主党内部にポスト菅がいるか?小沢は駄目、となると後はどんぐりの背比べで誰がやっても就任後3ヶ月もすれば今の菅と同じような状況になるだろう。

今の状況を国難と認識するなら、全ての政治家と国民はリーダーを引き摺り下ろすなどという無意味な行動を取るのではなく、リーダーを支えて問題を解決に向かわせるよう努力すべきである。オンボロ神輿であっても皆で担ぐ必要がある。 以上、下記新聞記事を読んで考えた事。

オンボロ神輿の衿持=重倉篤郎(論説室)

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