韓国

2017年03月29日

香りたつ装飾美「高麗仏画展」@根津美術館

image道昭を読んで、日本の仏教伝来時期の朝鮮半島の仏教文化が進んでいたことに驚きを覚えたもので、13、14世紀と時期はずっと後になりますが、高麗仏画展を見に行きました。
香りたつ・・・とあるように、どれも色鮮やかで細部にわたり丁寧に描かれており、インドから中国を経て朝鮮にわたった仏教をそれはそれは大切に信仰したのがうかがえます。
紺地に銀文字の経典は表紙他に美しい図柄。現代に通じるようなデザイン性。
同時に明治の廃仏毀釈で別かれ別かれになっていた興福寺の定慶作、梵天・帝釈天立像の再会展も。



kumie62 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年01月09日

元慰安婦の皆さんは受け入れてくださったけれど、慰安婦像の撤去は別問題。

image    安倍政府は今回の「慰安婦像」問題について「10億円払ったのだから、撤去の約束を守れ。」と駐韓大使の帰国、制裁も。日本のメディアも「やむを得ない措置」という報道である。

   慰安婦像を設置しているは韓国政府ではない。韓国の民間団体、地方自治体、更に外国の地方自治体だ。フランスのルモンドのによると、慰安婦像は韓国内に20、外国に10、設置されている。日本の圧力で今回の慰安婦像を撤去させたとしても、韓国政府にそれら全部を撤去させ、今後も設置させない権限はない。日本政府は撤去させるという約束だというが、韓国政府にとっては努力義務でしかない。

   ルモンドは今回のきっかけは稲田防衛大臣の靖国参拝だったという。慰安婦についても、「『慰安婦』いわゆる性奴隷」というような表現される。これらが欧米の共通認識なのだ。
   
  元慰安婦の皆さんが10億円を受け入れてくださったことで慰安婦問題は解決したと言っていいだろう。しかし、慰安婦像は日本による植民地支配の屈辱の象徴になっている。「撤去しろ。撤去しろ。」と強く要求しても問題は解決しない。稲田防衛大臣の靖国参拝のような愚かしい愛国心、強がり言動が被害者の屈辱の記憶を思い出させ、怒りを呼び起こすスイッチになる。日本が加害国であった歴史は消えることはない。私達は被害を与えた方たちへの謝罪の気持ちを忘れず、日韓の交流を深め、韓国民衆が慰安婦像撤去を受け入れてくれるのを待つしかないように思う。

    ルモンドの記事のことは内田樹さんのリツートで知ったのですが、その後、内田樹さんがルモンドの記事を日本語に訳してブログ内田樹の研究室に載せてくれました。是非、読んでください。

kumie62 at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年10月12日

どのような世の中をつくろうと民の責任だ!朝鮮王朝4代世宗王

image 韓流ドラマは結構好きです。
韓国の歴史ドラマ「根深い木」の再放送が終わりました。名君と言われる朝鮮王朝4代 世宗王によるハングル文字創成物語、史実を基にした創作ドラマです。

最終回はミルボン(密本、秘密結社)のホノン(本元、親分)による血塗られたハングル文字の公布式。
エンディングは式典で王を殺すことに失敗し、痛手を負い死を前にしたホノンと世宗王の会話です。
本元 「字を覚え学んだ民は、却って、権力者から騙され、利用されるだろう。」

世宗王 「権力者が代わろうと、王朝が滅びようと民は生き続けてきた。騙されたことに気づいた民は戦うだろう。戦って這い上がらればよいのだ。どのような世の中をつくろうと民の責任だ。」

そう、今の政治の状況を批判するなら行動しろということ。





kumie62 at 10:30|PermalinkComments(0)clip!

2014年09月11日

九月、東京の路上で

9月 東京の路上で 69の会のゲストスピーカーは「九月、東京の路上で」の著者加藤直樹さんでした。

 関東大震災は1923年(大正12年)9月1日、地震に続き燃え続ける猛火。朝鮮人が爆発物を仕掛けたとか、大挙して暴動を起こしたとか。噂は噂を呼び真実味を帯びて広がり、新聞までもが信じて報道し、大量殺戮になってしまった。

 加藤直樹さんは、
 「この本にはすでに発表されている当時の写真は使っていない。当時とは全く変わってしまった東京の路上に立ち、そこで何か起こったかを取材した。過去の歴史ではなく、レイシズム、ヘイトスピーチを許してしる今の日本の問題して読んでほしい。」
 とおっしゃってました。






kumie62 at 22:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年08月27日

日本批判続出ーヘイトスピーチ国連審査 人種差別

image 国連の人種差別撤廃委員会の対日審査会合では、「朝鮮人を殺せ」などを連呼するヘイトスピーチ(差別扇動表現)を規制する法整備を求める声が続出した。。。東京新聞(左)

日本政府はアイヌ民族や難民の受け入れなど、日本の人権政策について自画自賛、しかし、諸外国委員からはヘイトスピーチに対する質問が集中。ヘイトスピーチの禁止は表現の自由の制限に当たるとして、ヘイトデモを許していることへ批判が続いた。

許しているというより、ヘイトデモは警察力で守られてヘイトスピーチを叫び続けています。そして、ヘイトデモを阻止しようとした人たちが逮捕されているのです。

kumie62 at 16:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年08月18日

元従軍慰安婦への総理大臣の謝罪の手紙

総理大臣の手紙......


アジア女性基金による元従軍慰安婦への償い事業は

1)総理大臣の謝罪の手紙 
2)国民の募金から1人当たり200万円の償い金 
3)政府資金による1人当たり120〜300万円ほどの医療福祉支援

という償いを被害者に届けることでした。


写真はその総理大臣の手紙で、橋本、小渕、森、小泉と歴代四人の総理大臣が直筆で署名しています。

内容は、軍の関与を認め、女性たちの名誉と尊厳を傷つけたことを心から詫びるもので、受け取った女性たちは感動し涙をこぼす方もいたそうです。

でも韓国では「国民の寄付からの償い金では国が謝罪したことにならない」と反対の声が高く、話し合いがつかないまま償い事業は終了し、今に至っています。

韓国の日本批判の声が高くなり、国連の担当部門の調査報告でも

「「慰安婦が奴隷的状態であったことは日本政府も認めている 奴隷でなくてもレイプや人道に対する罪 は成立する。いずれにしても加害者個人の責任、及び国の 賠償義務は免れ得ない。賠償義務は政府間で決着済みとの日本政府の主張は間違っており、公的な個人補償は行っていない。」

と言われています。

このような状況になったのは、議員から、歴代四大臣が直筆で書名したお詫びの手紙を否定する発言が飛び出し、安倍総理まで過去の謝罪内容を否定したことが一番の原因かと思います。

安倍総理も最近は少し変わっていますが、変わるなら口先だけではなく、国として賠償する宣言しなければ、状況の改善はないでしょう。

償い事業についての実情については、元アジア女性基金理事大沼保昭氏を江川紹子さんがインタビューした

日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと〜「慰安婦」問題の理解のために

詳しく書かれています


kumie62 at 04:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年08月17日

ヘイトスピーチ:ネット発言で在特会提訴へ 在日女性 毎日新聞

ヘイト提訴







ヘイトスピーチネット発言で名誉を傷つけられたとして、在日朝鮮人のフリーライターが、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と発言を掲載したインターネットサイト「保守速報」管理人を提訴する。


どんどんむしったれ。
差別で儲けようなんてことができないよう、差別は高くつくことを思い知らせてやれ。

という泥さんのFacebookに応援のコメントがいっぱい。

彼女に勇気に拍手!



kumie62 at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年08月14日

【従軍慰安婦の真実】を知ろう

従軍慰安婦問題については、韓国だけでなく、米国、オランダ、カナダの下院、欧州議会、フィリッピン下院で日本に適切な対応を求める議決がされています。

また、今年8月6日、国連のピレイ人権高等弁務官は、この問題に関して声明を出し、
「日本は戦時中の性奴隷の問題について、包括的、公平で永久的な解決に向けた取り組みを怠っている」
として「深い遺憾」を表明しています。

国連差別防止・少数者保護 小委員会に提出された報告書の内容は、
 「慰安婦が奴隷的状態であったことは日本政府も認めている 奴隷でなくてもレイプや人道に対する罪 は成立する。いずれにしても加害者個人の責任、及び国の 賠償義務は免れ得ない。賠償義務は政府間で決着済みとの日本政府の主張は間違っており、公的な個人補償は行っていない。」
となっています。


戦後69年も経って、
「日本軍の兵隊は被占領国の女性を性奴隷にした。日本人はそれを謝罪もせず賠償もしていない。」
と世界から非難の目を向けられている。こういう状況を子や孫の世代に引き継ぎがせたくない。

そのためには、私たちが冷静に事実と向き合い、日本人が何をし、何をして来なかったかを確認し、被害者の方々に納得していただける謝罪をするしかない。
慰安婦だった方々はご高齢です。彼女たちの心に届く償いができる時間は長くないのです。


泥憲和そこで、泥憲和さんのFacebookの記事を転載しました。
泥さんは元自衛官です。
当時の軍の記録ほかを調べて、何が事実かを確認されています。

16章もあり、全部読むのはたいへんですが、

○性奴隷と言われるのはひどすぎる。
○慰安婦の言っていることは捏造だ。一部勢力が言わせている。
○彼女たちは志願したのであって強制はない。
○業者がしたことで軍がやったことではない。
○慰安婦たちは高収入だった。
○戦後賠償で韓国には十分に賠償した。
○日本は何度も謝罪しているのに。

そう思ったら、そこに関連するところだけ読めばいい。

投稿日時を整理し、1番から順番に表示されるようにしました。


【従軍慰安婦の真実】1慰安婦は性奴隷だったか

【従軍慰安婦の真実】2慰安婦は性奴隷だったか

【従軍慰安婦の真実】3慰安婦業者と官憲の行為は、どのような
              国内法に違反したのか

【従軍慰安婦の真実】4元慰安婦の証言に信憑性はあるか

【従軍慰安婦の真実】5従軍慰安婦という名称は間違っている
              という批判について

【従軍慰安婦の真実】6敗戦後の日本人慰安婦たち

【従軍慰安婦の真実】7慰安婦の働き方と報酬額

【従軍慰安婦の真実】8慰安婦の働き方と報酬額

【従軍慰安婦の真実】9慰安婦の働き方と報酬額
              秦郁彦説を批判する

【従軍慰安婦の真実】10慰安婦の働き方と報酬額
              文玉球(ムンオクス)さんの貯金通帳

【従軍慰安婦の真実】11慰安婦の働き方と報酬額
              文玉球(ムンオクス)さんの送金

【従軍慰安婦の真実】12日本は韓国に賠償金を払ったから
              それでいいのか 

【従軍慰安婦の真実】13日本は韓国に賠償金を払ったから
              それでいいのか 

【従軍慰安婦の真実】14「なぜ何度も謝罪しなければならないのか?
              いいかげんにしろ」という意見について

【従軍慰安婦の真実】15慰安所は戦地強姦を防ぐことが出来たのか

【従軍慰安婦の真実】16最終回




kumie62 at 13:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年08月13日

【従軍慰安婦の真実】1  1 慰安婦は性奴隷だったのか 

c08c2339.jpg泥憲和さんのFacebookの転載です。
読むのが辛いですが、次の世代に引きつかず、私たちの世代ので解決するために、読みましょう。
泥さんと質疑したい方、質疑のやりとりを知りたい方はFacebookに加入してください。

【従軍慰安婦の真実】1
1 慰安婦は性奴隷だったのか 

 まるでネトウヨみたいなタイトルです(笑)
 いまもネットに飛び交うデマにだまされている人が、たくさんいます。
 カウンター仲間の中にすらいるそうです。
 そのことをFB友の渡辺先生から教えてもらいました。
 幸い、たくさんのカウンター仲間が私のページを読んでくれています。
 そこで、おさらいといった感じで、なるべくわかりやすく、日本軍慰安婦のことを書いていきたいと思いました。
 ご自身の勉強を確かめるため、またネトウヨとたたかうため、活用して頂ければ幸いです。
 何回にわたるのか、まだ未定です。
 質問があれば、なるべく丁寧にお答えしようと思っています。
 第一回は、ネトウヨが発狂するようなテーマです。
 「慰安婦は性奴隷だった」という話です。

1 慰安婦は性奴隷だったのか

「性奴隷」とはなんでしょうか。
奴隷状態で性労働を強制された女性が、性奴隷です。

では奴隷とは何でしょうか。
人身を拘束され、自由を奪われた労働者のことです。
人身を拘束されるというのは、居住の自由を奪われて、雇い主の指定する住居に住まわされ、移動の自由のない状態をいいます。
自由を奪われるとは、転職や退職・廃業の自由を奪われて、いやでもそこで働かされることです。

さて、慰安婦は奴隷ではないという意見があります。
なぜならば、とその人たちは言います。

慰安婦は自ら志願している。
慰安婦は高い給料を得ていた。
慰安婦は借金さえ返せば帰国できた。
慰安婦は接客を拒む権利さえあった。

この言い分を、仮に事実だとしましょうか。
それなら、慰安婦の労働条件は奴隷でなかったと言えるのか、
このことについて、江戸時代の花魁(おいらん)と対比して考えましょう。

江戸時代、吉原などで、売春営業が公認されていました。
吉原の女郎には、それなりの給与が出ており、接客を拒む権利が認められおり、借金を返せば廃業を認められていました。
この待遇は慰安婦と同じです。
彼女たちは奴隷だったのでしょうか。そうではなかったのでしょうか。
 
明治5年、できたばかりの維新政府は、吉原の花魁のことを、
「牛馬に異ならず」と評しました。
明治5年『芸娼妓解放令』に合わせて出された「司法省達」です。
原文を末尾に資料として転載しておきます。
現代語になおせば、つぎのように書かれていました。

「娼妓・芸妓は人身の権利をなくした者であって、牛馬と同じことである。」

当時は奴隷という用語がまだない時代ですが、
「牛馬に異ならず」という表現が、奴隷状態であるという認識を示しています。
どうして「牛馬に異ならず」なのか。

どんなに貧しくても、身体だけは本人のものです。
借金でその身体の自由さえ失った状態は、人としての最後の自由を失った状態であり、牛馬と変わらない存在だということです。
人としての最後の自由を失った状態、すなわち、奴隷です。

吉原の花魁が借金で縛られた身分で「牛馬と異ならず」なら、
同じように借金でしばられ、待遇も花魁と似ていた慰安婦だって「牛馬と異ならず」だったといえます。
普通の年季奉公は、前借金でしばったりしないので、ただの有期雇用契約です。
この点を混同してはなりません。

こういうことで、慰安婦を性奴隷とみなすのは不当ではありません。

明治5年でさえ、この程度の人権感覚はあったのです。
21世紀に生きる安倍さんたち政治家が、慰安婦が奴隷状態であったことを否認するなんて、なんともはや、ため息をつくばかりです。

ところで、明治のはじめにはこんなにまっとうな認識だった日本政府ですが、その後に後退してしまいます。
「娼妓契約は人身売買ではない、だから娼婦は奴隷ではない」、こう言い始めたのです。
それがなぜであるかということと、その後退した考えからみても慰安婦は性奴隷だったということを、次回に書きます。

【資料】

明治 5年10月9日司法省達第22号 第2項

人ヨリ牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ
故ニ従来同上ノ娼妓芸妓へ借ス所ノ金銀並ニ売掛滞金等ハ一切債ルヘカラサル事



https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q&esrc=s&source=web&cd=10&cad=rja&uact=8&ved=0CF8QFjAJ&url=http%3A%2F%2Fja.wikisource.org%2Fwiki%2F%25E5%25A8%25BC%25E5%25A6%2593%25E8%2597%259D%25E5%25A6%2593%25E3%2583%258B%25E4%25BF%2582%25E3%2583%25AB%25E8%25B2%25B8%25E5%2580%259F%25E5%2585%25B6%25E4%25BB%2596%25E4%25BA%25BA%25E8%25BA%25AB%25E8%25B3%25A3%25E8%25B2%25B7%25E3%2583%258B%25E9%25A1%259E%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25AB%25E6%2589%2580%25E6%25A5%25AD%25E3%2583%258E%25E8%2599%2595%25E5%2588%2586&ei=LW3WU_O8Otjc8AXQiYLgDg&usg=AFQjCNGm3yx-_wHmJbhvYnvBfrbUtdjfLg&sig2=4kVsZ83wQrvDd8Zbdl1NMw

写真は近代デジタルライブラリーより
残念ながらここに司法省達22号は収録されていません

kumie62 at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

【従軍慰安婦の真実】2 慰安婦は性奴隷だった その2

da8818f4.jpg【従軍慰安婦の真実】2
慰安婦は性奴隷だった その2

々臻‥な売春契約と違法な売春契約のちがいを知ろう

 今回は、大日本帝国の国内法の観点から見ても、慰安婦は性奴隷であったという話です。

 明治政府は娼妓契約を「牛馬と異ならず」として奴隷契約だったと認定したというのが、前回のお話でした。
 その理由は、娼妓契約が「人身売買」であり、人身の自由を奪う契約だったからです。

明治5年 太政官布告第295号
「人身を売買することは古来から禁じられているのに、年季奉公など色々の名目を使って、実際には人身売買同様のことをしているので、娼妓を雇い入れる資本金(親に貸し付ける契約金のこと)は盗難金とみなす。貸した金を返せという訴えは認めない。」

 中には「娘は買ったのではなく養女にしたのだ、我が子に何をさせようと親の勝手だ」という理屈で売春をさせていた者もいたようです。
 太政官布告は続けます。

「子女を金銭で取引して名目的に養女にし、娼妓・芸妓の仕事をさせるのは、実際上はすなわち人身売買である」

 こうした措置で、明治政府は売春業は禁じなかったけれど、人身売買契約にもとづく売春業を禁じたのでした。
 この太政官布告が廃止されたのは明治33年です。
 この年、『娼妓取締規則(しょうぎ とりしまりきそく)』(内務省令第44号)が出されたので、布告は役割を終えたのです。

 『娼妓取締規則』は売春を一般的に禁じました。
 ただし、法令に従うことを条件に、例外的に売春を認めたのです。
 この規則を理由に、帝国政府は「娼妓契約は奴隷契約ではない」と言い続けました。
 それというのは、規則に「何人たりとも廃業を妨害してはならない」と決めていたからです。

 娼妓取締規則は、娼婦に「契約破棄の権利」と「廃業の自由」を認めました。
 警察に届けさえ出せば、いつでも辞めることができたのです。
 奴隷契約は、人身を買われた奴隷側から契約を破棄することができません。
 これと異なる娼婦契約は、人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、したがって奴隷ではないという理屈です。
 娼婦が辞めるのは「届出制」。ここ、大事なのでおぼえていてください。

 しかし前借金がある場合、娼婦を辞めても借金契約は残るという仕組みだったので、借金を返すために娼婦を辞められない現実もありました。
 人身売買の形は回避したけれど、こんどはいわゆる「債務奴隷」の立場に置かれたのです。
 
 それにしても、辞める自由が法的に保障されてはいたのです。
 借金を連帯保証人(たいていは親)に押し付ける気になれば、辞めることは出来ました。
 自己破産してしまえば、自分だけは助かります。
 親方が「借金を返さない限り辞めさせない」と引き止めるのは違法です。
 そういう大審院(いまの最高裁)の判決がたくさんあります。

◆^岼舵慇度は合法的な売春制度だったのか

 親が娘を担保に前借金をして娼婦に出すことを、「身売り」と言いました。
 貧しい農村では身売りが多くありました。
 身売りという言葉が示すとおり、実質上は人身売買ですが、法律的には娘には廃業の自由があるため「担保」の意味がないと見なされ、人身売買に当たらないということになっていたのです。

 こうしたことから、慰安婦否定側はいいます。
 特別に慰安婦だけが悲惨だったのでもなく、奴隷だったのでもないと。

  日本軍慰安婦は「身売り」契約による売春だ。
  悲惨であったにせよ当時としてはありふれた話だ。
  また当時、それは合法だった。

 本当でしょうか。
 ここでは、「身売り契約は奴隷ではない」という言い分を、いったん認めましょう。
 そのうえで、慰安婦契約がどんなものだったのかを確かめます。

 日本軍の慰安婦関係契約資料は散逸してほとんど残っていないのですが、運良く「馬来軍監区」の契約原本が残っていました。(写真)
 馬来とはマレーのことです。
 マレーを占領していた南方軍は、慰安婦の管轄権限を師団ではなく南方軍司令部に一括していたので、東南アジア方面では馬来軍監区と同じ契約だったと推測できます。

 その資料に、書かれています。

 「営業者および従業員は、軍政監の許可を受けるにあらざれば、転業転籍をなすことを得ず」

 「営業者および稼業婦にして廃業せんとするときは、地方長官に願い出てその許可を受けるべし」

 慰安婦が辞めるのは「許可制」だったのです。
 官の許可がなければ辞められませんでした。
 自由に辞められなかったのです。

 先に娼婦の退職・廃業は「届出制」であるといいました。
 届けさえすれば自由に廃業できるから人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、奴隷契約ではないというのが、帝国政府の建前でしたね。
 慰安婦はこれと異なります。
 廃業が許可制で、自由に辞められませんでした。
 それなら、人身を身分的に拘束する契約ということになり、これは人身売買であると言えます。
 つまり慰安婦契約は、帝国政府が禁じていた奴隷契約なのです。
 しかも許可を与えるのは官庁です。
 人身拘束制度=奴隷制度に官権が直接関わっているのです。

 日本政府が「慰安婦は性奴隷ではない」と抗弁できる余地はまったくないと思います。



kumie62 at 13:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

【従軍慰安婦の真実】3 慰安婦業者と官憲の行為は、どのような国内法に違反したのか 

【従軍慰安婦の真実】3
慰安婦業者と官憲の行為は、どのような国内法に違反したのか

 前回の「2」で、南方軍が、帝国政府が禁じていた奴隷契約を慰安婦に強制していたことを示しました。
 軍をはじめとする国家機関と慰安婦業者は、ほかにも様々な法律に違反しているので、今回はそこを確かめましょう。
 売春が合法でも、慰安婦が合法だったとは言えないことが如実にわかるでしょう。

■「娼妓取締規則」違反

 占領地でこそ軍が軍政を敷くので警察権を持ちますが、慰安婦を募集したのは占領地ではなく、朝鮮半島と内地がほとんどです。
 そこでは「娼妓取締規則」を守らなくてはなりません。
 慰安婦は国外で働くことを前提にしていますが、「娼妓取締規則」はそのような事態を想定していませんでした。
 第七条に、「娼妓は庁府県令を以て指定したる地域外に住居することを得ず」とあります。
 しかし慰安婦をどこに送るのか、それは軍事機密なので、官庁は慰安所の所在地を指定することができません。
 慰安婦という制度が、その性格上、そもそもが違法なのです。

 「娼妓取締規則」は、つぎのように定めていますが、慰安婦についてはなおざりにされているし、業者を使役していた軍も守らせていた形跡が見えません。

娼婦になろうとする者は、そのやむを得ない事情を書いて、両親と保証人2名の連署を添えて警察区長に届け出なければならない。
その手続は、本人が警察に出頭して行わなければならない。
警察は娼婦になろうとする者を尋問し、本人の意思を確認しなければならない。
娼婦になろうとする者は、警察区長の確認書を添えて警視庁に願い出なければならない。
満18歳未満の者は娼婦になってはならない。

 これらはほとんど守られていませんでした。
 このように、「娼妓取締規則」に違反しているのですから、慰安婦の契約は法律違反であって、業者は本来ならば営業停止です。

■民法第90条(公序良俗)違反
〈公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする〉

 違法契約であることを隠し、相手の法的無知に乗じて契約させても、明治民法第90条により、公序良俗に反する契約として無効になります。
 無効というのは、はじめからなかったことになるということです。

■刑法第226条(所在国外移送目的略取及び誘拐)違反
〈所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する〉

 無効な契約なのに、あたかも有効であるかのようにだまして連れて行くのは、誘拐に当たります。
 誘拐の定義は、判例等によって「欺罔(ぎもう あざむき、だますこと)・誘惑を手段として、人を生活環境から不法に離脱させ、自己又は第三者の実力支配下に置くこと」とされています。

 慰安婦は、誘拐して海外に連れ出すことを禁じた刑法第226条の条文にピッタリと当てはまります。
 そういうことをした業者も、渡航を公認した内務省と身分証を発給した外務省、輸送に便宜を計らった軍も、共犯として同罪です。

 ところで話が少し横道にそれますが、北朝鮮による拉致被害者である有本恵子さんら4人は、北朝鮮でいい仕事があるとだまされ、自分の意志で北朝鮮に入国しました。
 自分の意思であっても、だまして連れて行けば、誘拐に当たります。
 政府は誘拐された有本さんたちを拉致被害者として認定しているのだから、誘拐は拉致にあたるということになります。
 拉致と強制連行は同じ意味です。
 すると慰安婦も合法的なよい仕事があるとだまされて連れて行かれたのだから、誘拐に当たるのだし、日本政府の定義に沿っていえば拉致されたのであり、強制連行されたことになります。

■刑法第227条違反
 〈3  営利、わいせつ又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、略取され、誘拐され、又は売買された者を引き渡し、収受し、輸送し、又は蔵匿した者は、六月以上七年以下の懲役に処する〉

 慰安婦は営利・わいせつ目的で誘拐されました。
 慰安婦を軍に引き渡したのは慰安所業者、収受し、輸送したのは軍です。 
 両者は刑法第227条違反の共同正犯です。

 これほど違法に違法を重ねては、もう誰にも弁護のしようがありません。
 軍をはじめとする国家機関が直接的に関わった国家犯罪と言えます。

■法令がちゃんと適用された例がある
 
 昭和12年、大審院(最高裁)で、売春目的で女性を海外に連れ出そうとした業者らが有罪になっています。
 長崎から15人の日本人女性を娼婦として上海へ送った業者らに対し、
 大審院第4刑事部は 「婦女を誘拐して国外に移送した」「共同正犯」として上告を棄却、有罪が確定しています。

 法令がちゃんと適用されれば、このように有罪になるのです。
 この業者が有罪になったのは、軍と結託していなかったからです。
 軍が求めれば、その威光で誰も逆らえなかった時代でした。
 大日本帝国の時代、日本がそんな国であったことを認めるのは気分の良いものではありません。
 しかしその歴史を反省することで、別な道を歩むことが私たちにはできます。
 その歴史を肯定してしまえば、同じような未来が待ち受けていることでしょう。


kumie62 at 13:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

【従軍慰安婦の真実】4 元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか

従軍慰安婦4


泥憲和さんのFacebookの転載です。

【従軍慰安婦の真実】4
元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか
(今回はめんどくさい上に長いです)

 元慰安婦の証言には腑に落ちない点が多々あります。
 移動中の船内でテレビを見たとか、それはちょっと有り得ません。
 人の記憶は不確かなんですよね。

 でも、韓国側はそういった不自然な証言を改変することなく発表しています。
 おばあさんに「戦時中にテレビはまだなかったんだよ」といったアドバイスをしていないようです。
 間違っていてもそのままに記録するという、オーラルヒストリー採取の基本をわかっている証拠です。

 金福童さんという元慰安婦がいます。
 彼女の証言が怪しいと言って、右派が総攻撃しています。
 金さんは第15師団に着いてシンガポールに行ったと言うが、嘘だ。なぜなら第15師団はビルマの部隊だから。
 金さんは14歳のときに慰安婦にさせられて8年間働き、19歳の時に解放されたというが、計算があわない。足し算もできないのか。
 金福童はニセ慰安婦だ・・・等々。
 いまも金さんはどこへ行っても、一見つじつまの合わない証言を繰り返しています。
 矛盾してたって自分の記憶がそうなんだから気にしないという姿勢です。
 体験に裏打ちされた記憶に自信があるのでしょうか。
 今回は、金さんの証言がどこまで当てにならないか、それをこれから検証します。

■同時代の公文書に反する記憶

金さん証言
 「陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」
(2012.9.23「橋下市長!日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言)
http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/18155831.html

 「最初、中国・広東の慰安所に入れられた。」
(『朝鮮新報』2013.6.3)
http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0527ry03/ 

 金福童さんは、第15師団について各地を回ったと証言している。
 しかし公文書はこの証言を否定している。
 南方軍第10陸軍病院の1945年8月31日付の記録に、軍の傭人として金福童さんの名前が載っており、本籍も一致しているので本人に間違いないという。

元日本軍慰安婦・金福童さんの実名記録が発見(朝鮮日報記事)
http://f17.aaacafe.ne.jp/~kasiwa/korea/readnp/k285.html

 資料の名を、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」という。
 資料名でわかる通り、金福童さんは第16軍の下にいた。
 場所はインドネシアのジャワ島である。
 慰安婦をしていたという以外に、こんな所にいる理由がない。
 たしかに彼女は慰安婦だったのだ。
 このことは間違いない事実である。
 
 しかし、金福童さんが証言する第15師団は、ビルマで戦った。
 第16軍はジャワ島にいた部隊である。
 二つの接点はまったくない。
 金福童さんはシンガポールやインドネシアに行ったと証言しているが、第15師団はそういった場所に行っていない。
 金さんが第15師団と行動を共にしたとすると、解けない矛盾だらけになる。

 本人の記憶は大切にしなければならないが、記憶と同時代の公文書との間に矛盾があれば、公文書が正しいと考えるほかないだろう。
 第15師団について行ったという本人の記憶は、間違っていると考えた方がよい。
 しかし以下に示すとおり、「第15師団」という条件さえはずせば、金福童さんの証言は極めてリアルなのだ。
 そのことを、これから確かめたい。
 まずは、広東からである。

■広東時代
証言1「最初、中国・広東の慰安所に入れられた。」
(『朝鮮新報』2013.6.3)
http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0527ry03/ 

 広東省は香港やマカオの北隣、深セン経済特区で有名な地域である。
 連れて行かれたのは、「14歳のとき」だという。
(2012.9.23「橋下市長!日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言)

 先に見たとおり、1945年8月に19歳だったのだから、金さんは1926年生まれである。
 金さんは戦前の人だから、満年齢ではなく数え年を使う。
 連れて行かれた数え年14歳は、1939(昭和14)年である。
 この年に広東で何があったのだろう。

 前年の1938(昭和13)年9月、広東作戦が発令された。
 10月に作戦が開始された。
 11月には広東の要衝がすべて占領された。
 この時から広東に日本軍が駐留した。
 第5師団、第18師団、第104師団の三個師団。大部隊である。

 翌1939年には、少なくとも都市部の治安は安定した。
 それに伴って大量の慰安婦の需要が発生した。
 金福童さんが連れて行かれたのは、まさにその時期に当たっているのだ。
 日本軍の作戦行動と証言に矛盾がない。

 なぜ金さんはこんなに幼いのに連れて行かれたのか。
 その理由を示す資料がある。
 当時の日本軍は性病に悩まされており、朝鮮の「年若き女」を求めていたようなのだ。
 別の地域の資料だが、同じ年、昭和13年4月10日付「第14師団衛生隊」文書に、こんな記述がある。

 「支那妓女の検黴(けんばい)の成績を見るにほとんど有毒なるにより支那妓婁に出入りせざること。」

 現地のプロの娼婦は性病にかかっていて、慰安婦として使えないというのである。
 また同時期の「第11軍第14兵站病院」文書は、内地から来た慰安婦を「あばずれ女」と評価し、花柳病(性病)が多いと書き、病気を持たない朝鮮の「年若き女」を奨励している。
 こういった軍の要請にもとづいて、金さんのような朝鮮の少女に白羽の矢が立ったのだと思われる。

■広東からマレーシア、シンガポールへ

証言2「陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」
(2012.9.23「橋下市長!日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言)
http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/18155831.html

 証言2では、最初に行った広東が、台湾のつぎに上げられている。
 このことから、証言2にあげられた地名は、思い出すままに並べただけで、移動の順序に並んでいるのではないことがわかる。
 広東を占領した部隊がどのように移動したのかを確かめるにあたり、便宜的に、金さんが上げた地名に丸数字を振る。

 ‖耋僉↓広東、9畊繊↓ぅ泪譟璽轡◆↓ゥ好泪肇蕁↓Εぅ鵐疋優轡◆↓Д献礇錙↓┘轡鵐ポール、バンコク

 注意すべきなのは、ゥ好泪肇蕕鉢Д献礇錣蓮△匹舛蕕皚Εぅ鵐疋優轡△旅馥眞鰐召世箸いε世任△襦
 Δ鉢キГ禄妬しているのである。 
 その点を念頭に置いて、順次、見ていこう。

1941年11月
 大本営がマレーシア攻略を含む南方作戦の作戦準備を下令した。
 しかし広東作戦とマレー作戦は全然別の作戦で、参加した部隊もまるで異なっている。
 通常なら、広東にいた慰安婦がマレー方面に移動することはないはずだ。
 この点、一見すれば金福童さんの証言は不可解に見える。
 ところが、広東からマレーに引き抜かれた部隊が、一つだけあるのだ。
 広東にいた第18師団は、新編成の第25軍に加えられ、マレー方面に転ぜられた。
 広東からマレー方面に転進した部隊は第18師団だけである。
 (証言にある第15師団は参加していない。)
 そして第18師団の部隊記録に、金さんのあげた地名が次々に登場するのである。
 金福童さんは、第18師団について行ったと見るのが合理的である。
 第18師団は渡航準備のため、広東から9畊舛魴侏海靴導て酖腓飽榮阿靴拭

1941年12月
 マレー作戦が開始され、まずタイ国攻撃が始められた。
 渡洋してきた第18師団は、第25軍の部隊としてタイの首都バンコクに進駐した。

1942年2月
 第18師団は第25軍の部隊として、ぅ泪譟璽轡△某雰發靴拭
 日本軍はたちまちマレー半島全域を占領する。
 第25軍がシンガポール作戦開始。同、占領。
 第18師団は┘轡鵐ポールに駐留した。

 ここで確認しておきたいのが、慰安所の管轄である。
 中国戦線では管轄があまりはっきりせず、各級部隊がてんでに管理していたような記録がある。
 しかし下級部隊が内地や朝鮮総督府と勝手に連絡を取り、慰安婦を要請したのでは統制が取れない。
 その経験の蓄積もあってのことだろうが、南方軍は軍政部に管轄を一元化している。
 軍政部は各師団の指揮下にない。
 上級の第25軍の機関である。
 中国から第18師団についてきた金福童さんだが、ここで規則通り、第25軍の軍政部の管轄下に置かれたはずである。

■インドネシアへ

1942年4月
 広東から一緒だった第18師団が、第25軍から離れてビルマに移動した。
 しかし金福童さんの慰安所は、第25軍の直轄になっていたから、第18師団と切り離されており、シンガポールに留まったとみられる。

1943年5月
 第25軍司令部がシンガポールを離れ、ゥ好泪肇蘚腓離屮ッティンギに移駐した。
 (スマトラはΕぅ鵐疋優轡△涼鰐勝
 金福童さんたちもこの移駐に従った。

■帰国へ

証言3「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」
(2013.5.20『沖縄タイムス』)
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450

1945年8月
 敗戦。

1945年9月
 第10陸軍病院(Д献礇錙砲量省蹐法峩睚‘検19歳」との記録。
(「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」)

 これは軍の公文書だから、数え年ではなく満年齢である。
 金福童さんは、どんな理由で第25軍の管轄を離れて第16軍の管轄下に入ったのだろう。
 それは引き揚げ準備のためだったと思われる。

 別の部隊の話だが、セレベス島第2軍民生部作成の資料(昭和21年6月20日付)によると、連合軍の命令で第2軍がジャワ島の将兵(第16軍)を管理し、パレパレ港に集合させている。
 第16軍が管轄していた慰安所の調査も、第2軍がまとめている。
 日本軍の戦闘序列からすれば、おかしなことが起きているのだ。
 そしてそのことは連合軍の命令だったというのだ。
 連合軍が用意した引揚船(ジョージポインレックスター号)の運航や寄港地に合わせて、連合軍の管理しやすいようにしているのである。
(以上の資料はアジア女性基金の『政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料』第3巻所収)
 こういった時期だから、金福童さんの管轄権が第25軍から第16軍に移っていることに、不審はない。

1946年〜1947
 インドネシアから引き揚げ。金福童帰国。

 連合軍がまず最初に日本軍に命じたのは、慰安婦を帰国させることであった。
 「連合国指令書第一号」が「遊女屋並びに慰安婦を日本軍と共に撤退させよ」という命令なのだ。
 (昭和20年9月7日付「日本派遣南方軍最高司令官宛連合国指令書第一号」『政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料』第4巻)
 
 慰安婦の帰還に消極的な軍を、連合軍が叱咤していると思われる。
 最高司令官命令だから、慰安婦の帰還はわりと早かった。
 各種資料を総合してみると、生き残りの慰安婦は1946年6月までには全員帰国しているはずだ。
 金福童さんの帰国が1946年ならば、1939年から足かけ8年だ。
 「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という本人の証言とピッタリ符合している。
 このとき、満年齢で20歳、数え年で22歳であったはずだ。
 右派は満年齢と数え年を混同して、計算が合わないと騒いでいるのだ。
 それは合うはずがないだろう。
 ご苦労なことである。


 これで考察を終わる。
 日本軍について多少の知識があれば、金福童さんの行動軌跡は、有り得ないものと見える。
 作戦区域をまたいで移動したり、軍をまたいで管轄が移動したり、そんな無茶なとわたしも初めはそういう印象だった。
 しかし、調べてみて驚いた。ちゃんと合理的な裏付けがあったのだ。

 金福童さんの証言「第15師団」は、「第18師団」の記憶違いではあるまいか。
 そう仮定すると、年齢にも経歴にも矛盾が見あたらず、ほとんどの地名が漏れなくピッタリと符合する。
 ただし、「台湾」だけが不可解だ。
 そこだけは、裏付けが取れない。
 つまり金福童さんの証言は、年代はぴったり合うのだが、9ヶ所の地名のうち、1ヶ所だけ資料的な裏付けが見当たらない。
 その程度には、「当てにならない」のである。
 彼女がニセの慰安婦で、デタラメを語っているのだとしたら、まぐれ当たりでこれほど見事に地名が符合することはあり得ないと私は思う。
 残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。

従軍慰安婦4

kumie62 at 13:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

【従軍慰安婦の真実】5  従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について

従軍慰安婦 5










泥憲和さんのブログからの転載です。

【従軍慰安婦の真実】5
 従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について

 否定派は、従軍慰安婦という名称にこだわります。

 従軍という言葉は軍属という正式な身分を表す言葉だ。
 だが、慰安婦たちは民間の売春業者が連れ歩き兵士を客とした民間人である。
 従軍というのは間違いで、追軍売春婦だ。

 このように言うわけです。
 慰安婦制度に国家が関与していたことを認めたくないからですね。
 この意見は、もちろん間違っています。
 46年も前の昭和43年に、国会で慰安婦に関する質問がされています。
 
 第058回国会 社会労働委員会 第21号
昭和四十三年四月二十六日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0200/05804260200021c.html

 日本社会党の後藤俊男衆議院議員が、慰安婦に対する援護法適用について質問しており、厚生省(当時)の政府委員がこう答弁しています、
「慰安婦に無給の軍属のような身分を与えていた」と。

 軍属だったら、従軍していたのです。
 慰安婦は雇い主から稼ぎを受け取るので、軍が給料を支給しないのは当然ですし。
 答弁は「軍属のような身分」ということなので、正式の軍属ではなく、「軍傭員」に類するパート職員扱いだったと思われます。
 前回のエントリーに書いた金福童さんは「軍傭員」の身分でした。
 それにしても軍属なのだし、軍から宿舎を提供してもらっているのだから、追軍売春婦というのはまったく人を馬鹿にした呼び名です。

 厚生省(当時)の政府委員は、こうも答弁しています、
「輸送船が沈められて亡くなった慰安婦は援護法の対象である」。

 援護法の対象になるのは「公務に従事して死亡した場合」に限りますから、慰安婦は公務で輸送船に乗っていたと認定されているのです。
 こういうことだから、「ただの民間人だ」というのは間違いで、「従軍」という接頭語は正しいのです。

 大事なことなので、政府委員の答弁を要約しておきます。

1.戦地の慰安婦に軍が宿舎の便宜を与えていた。
2.慰安婦には無給の軍属の身分を与えていた。
3.戦地で銃を取って戦ったり従軍看護婦の役割を果たした慰安婦もいる。
4.戦場で軍に協力して死亡した慰安婦は、正式の軍属や準軍属とみなして援護法の対象になる。
5.海上輸送中に沈められた慰安婦も、軍属あるいは準軍属として、援護法の対象である。

 政府委員は、つぎのようにも答弁しています。
 「立場として申し出にくい場合があるだろう。法律を知らずに泣いている人もあるだろう。一人残らず救うために努力したい。」

 一人残らずと言ってもそれは「戦闘協力者として、または輸送船が沈没したことで亡くなり、正式の軍属や準軍属とみなされた慰安婦」のこと、死んでしまった慰安婦の、遺族のことです。
 生き残った慰安婦には何の援助もありませんでした。
 彼女たちは戦後をどのように生きたのでしょう。
 次回はそのことについて書きます。


kumie62 at 13:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

【従軍慰安婦の真実】6   敗戦後の日本人慰安婦たち

【従軍慰安婦の真実】6
敗戦後の日本人慰安婦たち

 前回は慰安婦が軍属に準ずる扱いを受けていたことを書きました。
 中には最前線で戦闘協力者として戦死したり、または輸送船が沈没したことで亡くなった方もいて、その場合は遺族年金の対象とされています。
 しかし生き残った慰安婦には何の援助もありませんでした。
 彼女たちは戦後をどのように生きたのでしょう。

 ネトウヨやバカ評論家は言います。
「日本人は奥ゆかしいから賠償など要求しない」
「売春婦が売春禁止反対を唱えるような韓国人とは違う」
 ふざけちゃいけません。

 昭和23年11月27日、衆議院で一通の陳情文が読み上げられました。
 陳情者は、大阪府接待婦組合連合会の会長、松井リウ。
 接待婦とは、要するに売春婦です。
 陳情書で松井は売春防止法の制定を延期して欲しいと述べます。
(国会議事録 第003回国会 法務委員会 第10号 昭和二十三年十一月二十七日)

 自分たちは戦時中は看護婦や慰安婦としてお国に尽くせと言われ、帰ってみれば何の保障もなく、
 あるいは夫が戦死したために生活に窮し、
 女中に行けば雇い主から犯され、働きに出れば上役から関係を迫られ、
 そんな男の身勝手が横行している世の中なのに、暮らしのために売春してはいけないとはどういうことか。
 せめて暮らしていけるぐらいの経済力が身につくまで、また男たちの性に対する意識が向上するまで、売春防止法はつくらないでほしいと。

 「私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、その他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と諸種の前職を持つておる者ばかり」

 「現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず・・・、生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。」

 「いかに男女同権とか基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会はそんなりつぱなものではありませず、私たちのうち、女中奉公中主人にむりを言われ、ビズネス・マンとして上役の人よりむりを言われ、いずれの職域においても職業婦人は横暴なる男性のために犠牲になり、苦労しているのが事実であります」

 「経済界が安定して生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、その上服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面青年男女が一定年令に達したなれば、結婚して主人の收入にて生活ができるよう、また全國民が衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、すべての点につき世界の水平線まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います」

 彼女の言い分がすべて正しいとは言わないけれど、売春を続けさせて欲しいと言わねばならない境遇に陥ったのは、彼女たちの責任ばかりではないでしょう。
 こういった彼女たちに対し、しかし世間は冷たかった。
 昭和27年04月25日、参議院法務委員会において、参議院議員宮城タマヨが、売春防止法を早く施行してほしいと求めています。

 「東京の吉原を調べてみましても現在ざつと千三百人以上従業員がおります。そうしてこの様相は実に驚いたものがあるのでありますが、そういうことが一体今後いつまで許されるものか」

 「慰安婦として政府が集めましたその人たちがまだ随分残つておる。それでその人たちは実に大手を振つて威張つてこの仕事に従事しておりますのでございます。政府からもお招ばれしているんですよということをまだ言つておるのです。それで一つどうしても早い機会にこれは何とかしてほしいのでございますが、これにつきまして政府の御意見は如何でございましようか」

 戦後、日本政府は連合軍が進駐してくるよりも前に、兵隊には慰安所が必要だろうと勝手に決めつけて、特殊慰安所RAAを設けました。
 そこに戦時中に慰安婦だった女性も多く応募しました。
 彼女たちはGHQが慰安所の閉鎖を命令したことで失職したあとも、売春婦として生きていました。
 宮城タマヨは、いつまでそんなことをさせているのかと問うのです。
 売春婦風情が大手を振って大威張りで生きるとは何事かと。
 「政府にいわれて売春していたのだ」といまだに言っているが、許しがたいと非難するのです。

 司法大臣を夫に持つ宮城タマヨは、戦前から上流社会の名士でした。
 戦時中にはこんなことを書いていた人です。

 「敵の本土上陸、本土決戦は、地の利からも、兵員の上からも‥‥決して不利ではありません。一億一人残らず忠誠の結晶となり、男女混成の総特攻隊となつて敢闘するならば、皇国の必勝は決して疑ひありません」
 「大義に徹すれば火の中、弾の中をもの ともせぬ献身の徳は、肇国以来の日本婦道でございます」
 『主婦之友』1945年7月号「敵の本土上陸と婦人の覚悟」

 てなことを書いていた御仁が敗戦とともにくるりと手のひらを返して参議院議員におさまり、「平和憲法」「民主憲法」に賛成しました。
 戦時中、この人は夫を兵隊に取られた庶民の苦労などお構いなしでした。
 生活苦を嘆く若妻に、彼女はこうご託宣を下していました。

 「良人の収入の範囲で生活を築いていくと言うことがモットーにならなければ、その家庭は健全に育っていきません。新家庭がお金に不自由するのは、むしろ当然だと私は思いますよ」
 「これからの日本では殊に、厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごされるような人を作らなくちゃなりません」
 『主婦之友』1941年12月号「戦時下花嫁の生活建設相談会」

 厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごすというのは、苦労を苦労と思わないようになるべきだという意味です。
 何でも闇で買える優雅な暮らしを送りつつ、平気でこんなことを書く人でした。
 だから元慰安婦の苦労など顧みることがなかったのは当然といえば当然です。
 元慰安婦たちの、「自分たちだってお国に尽くしたのだ」というせめてものプライドを切り捨てて、たかが売春婦が「大手を振つて威張つて」いるのが許せないと。
 こういう人が参議院議員に当選した一方で、松井リウは紹介議員さえ得ることができなかったために、陳情書を政府専門員に代読してもらった。

 日本人元慰安婦は声を上げなかったのではありません。
 声を上げたのです。
 兵隊と一緒に苦労したのに、恩給ももらえない身の上でした。
 戦史に華々しく飾られることもない彼女たちです。
 せめて売春を続けさせて欲しいとしか言えない哀れな立場でしたが、そのような境遇に追いやった政府に向かい、精一杯の抗議をしたのでした。

 その声は聞き入れられることがなく、無視されました。
 上品でご立派なご婦人から嘲笑され、見下げられ、切り捨てられました。
 彼女たちのその嘆きと怒りの声が、かろうじて、いまも国会議事録に残っているのです。


kumie62 at 13:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

従軍慰安婦の真実】7   慰安婦の働き方と報酬額  ^岼舵惷伴圓侶戚鷭颪魍里める

従軍慰安婦7


































泥憲和さんのFacebookの転載です。

【従軍慰安婦の真実】7
慰安婦の働き方と報酬額  ^岼舵惷伴圓侶戚鷭颪魍里める

 慰安婦はとんでもない高給取りだというデマが流されています。
 その証拠として元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が引き合いにだされます。
 文さんが慰安婦をしていたときに軍事郵便貯金として26,145円を貯めていた通帳の原簿が日本に残っていたのです。
 小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
 そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
 だけど、その意見は間違っているのです。
 文さんのことは別の回で確かめるとして、まずは慰安婦の稼ぎについて、一般的な状況を確かめましょう。

 それには雇用契約を見てみるのが一番確かです。
 女性達はどんな契約を結んで戦地へ赴いたのでしょうか。
 『上海派遣軍慰安所酌婦契約条件(しゃんはい はけんぐん いあんしょ しゃくふ けいやくじょうけん)』という文書が残っています。
 慰安婦の募集に歩いていた男を警察が捕まえて、持っていた契約書を出させたものです。
 誘拐の疑いでいったんは逮捕したものの、軍がバックについていることがわかったので、警察は男を釈放してしまいました。

 では中身を見てみましょう。ひどいものです。 (写真)
 前借金で身分をしばって働かせる、いわゆる「身売り」という契約です。
 こういうのは公序良俗違反なので、民法上は無効でした。
 明治時代に、大審院でその判例が確定しています。
 無効な契約なのに、庶民の法的無知に乗じて有効であるかのように見せかけて結ばせた、詐欺契約です。

 契約書は16才の女子にまで売春させようとするものです。
 こんな子どもに売春させるのは、いくら親の同意があっても完全に違法です。
 前借金の最高は500円。 
 都会で働く会社員の初任給が40円だったというので、その1年分です。
 農家には大金でした。
 契約書には、前借金のうち、2割を経費として天引きすると書いてあります。
 500円借りても、2割を天引されるので手に乗るのは400円。
 2年間働いて返さなければならないのは、元の500円です。
 2年で2割は、アドオン金利で年利10%。実質年利はもう少し高くなります。
 社内貸付としては、常識はずれの高利と言えます。

 慰安婦は2年間の契約ですが、病気などで中途でリタイアしたら、年利12%をつけて前借金を返さねばならない。
 そのうえ、別に前借金の1割という高額な違約金を取ると定めてあります。
 これでは女性はなにがあろうと辞めるに辞められません。
 しかし本当のところ、業者側は女性に途中でリタイアされたって痛くもかゆくもないのです。それは後で計算します。

 慰安婦が月給として手に出来るのは、水揚げの1割でした。
 兵が支払った料金は1回1円ないし1円50銭だったといいます。
 1人30分で1日に12時間働けば、24人を相手に出来る勘定です。
 実際には洗浄時間も休憩も必要だから、仮に20人としましょう。
 1日に20円ないし30円の水揚げということになります。
 30日働けば600円ないし900円の水揚げです。
 手取りが1割なので、手に出来るのは60円から90円の計算となります。

 小野田元少尉によれば、普通のサラリーマンの初任給が40円でした。
 普通のサラリーマンの月給は100円とされていました。
 100円が50万円にあたるとすれば、慰安婦の手取りは30万円から45万円。
 1日12時間、1ヶ月30日も体を酷使して働いて、この金額です。
 時間給にして800円から1200円です。
 バカバカしいほど安いと思いませんか。

 住む、食べる、置き薬代は、業者負担だと書いてあります。
 それ以外の経費、たとえば着物や下着や化粧品、日用雑貨、性病以外の医者代、嗜好品、酒、タバコなどは女性が自分で負担しなければなりません。
 彼女たちは原則として外出も出来ないので、ちょっと手慰みにバクチでもおぼえさせられたら、あっという間にカスられてしまう金額です。

 ところで証言によれば、1日40人も相手をさせられた女性もいたといいます。
 これぐらい働けば、女性にも貯金ができるでしょう。
 しかし、そういうタフな一部の女性をのぞき、普通の体力、普通の性的能力しかない女性には、経済的実入りは驚くほど少ないのが実情でした。

 さて、女性ひとりが月に600円ほども稼いでくれれば、給料を支払ったあとで雇い主が手にできるのは540円。
 これなら500円貸し付けても、1ヶ月で元が取れます。
 半年働いてくれれば、ボロ儲けです。途中でリタイアされたってなんてことない。
 前借金を回収したあとは「維持管理費」を支出するだけで、稼げば稼ぐほど丸儲け。
 維持費と言ったって、建物は軍が建ててくれるのだし、食料まで支給された所もあるから、本当の丸儲け。
 雇い主側としてはもうかってしかたがない。笑いの止まらない商売でした。

 女性さえ集めればこんなにおいしい商売だもの、金にあかせた女性の獲得競争が始まったことは想像に固くありません。
 前借金が釣り上げられ、最高で2000円ほどにもなったといいます。
 芸者稼業は、すればするほど借金の増える商売だったといい、2年間働けばその借金がチャラにできるというのは、プロの女性にとってうまみのある仕事だったと言えます。
 業者の立場で言えば、2000円ぐらいなら、4ヶ月で元が取れるのです。
これほどうまい商売だから、金にいやしい連中が、女性を集めるのにまともな方法ばかりとっていたかどうか。
 現在の闇金業やウラ風俗業にたずさわる紳士たちがどういうことをしているか考えれば、類推できるのではないでしょうか。

 今回は、業者と女性の契約条件を見てみました。
 次回は、軍が作った契約書を確かめます。


kumie62 at 13:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!