戦争
2017年12月11日
2017年12月10日
2017年11月27日
2017年11月25日
2017年07月13日
恋知の会7月例会
毎月第2水曜午後は、恋知の会(於:我孫子市白樺教育館)です。
左の写真は、この日のテーマ2はこのCD。柳兼子伝を書いた松崎桂子さんの遺品の中にあった柳兼子さんさんと弟子のプロの声楽家相川マチさんとのレッスンテープのデジタル化。柳兼子さんは90才8ヵ月。90才にしてこの声量、この情熱。
柳兼子さんはドイツに留学し、絶賛され、声楽の神様と称された声楽家。白樺派の柳宗悦と結婚、夫と共に朝鮮半島への同化政策に反対し、自身は軍歌を歌うことを拒否。テーマ1の後で聴いたこともあり、ブレない生き方にも敬服。
テーマ1は武者小路実篤の「大東亜戦争私感」と日本人の思想問題。
武者小路実篤が東京新聞で読まれるべき古典として紹介した戯曲「ある青年の夢」を書いたのは1916年。戦争の愚かさと悲惨と戦争回避のための考察を書いている。
「大東亜戦争私感」の出版は1942年、「ある青年の夢」から26年後。こちらは戦争讚美一色。美しい死を肯定し、尽忠報国の精神にもえるが故に死を恐れなくなるのだとさとし、日本が強いのは日本の国体の御かげ、大事なことは一億一心、銃後の統一である。。。とまだまだ続く。弾圧されて仕方なく書かせられたものではなく、本気だったとしか思えない。
これは東京新聞に掲載された「ある青年の夢」の紹介。この非戦の戯曲を書いた武者小路実篤がどうしてこれほど激しく転向したのか? 敗戦後、その反省も謝罪もなしになかったことにし、世間もそれを受け入れているのか。(白樺教育館の河出書房の武者小路実篤全集には「大東亜戦争私感」があるが、新潮社の武者小路実篤全集は削除している。)
テーマ3は教科書にしている「ブッタと親鸞」を少し。私は信仰心はないけれど、昔からブッタという方は好きでした。恋知(哲学)としてブッタを学ぶ機会を得て、ますます好きになっています。
テーマ2についての武田康弘先生も思索の日記は
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/d6577e2b7afd83e2ee8e0d1420431431
2017年05月31日
信州の戦没画学生慰霊美術館「無言館」に行ってきました
記憶のパレットに書かれた名前は、無言館に展示された方のほか、絵が見つからなかった戦没画学生のお名前も。
無言館に行く手前に第二無言館「傷ついた画布のドーム」があります。ここの天上は丸く高くなっていて、傷みがひどい絵が画布の状態になって、天上いっぱいに貼られています。亡くなった画学生たちが、下界の私たちを見ているような気持ちになります。
無言館の絵については、絵を無言館にお委せいただく際にご遺族からお聞きした絵が描かれた背景を館長の窪島誠一郎氏が書き添えた画集が出版されています。
無言館 戦没画学生「祈りの絵」
無言館を訪ねて 戦没画学生「祈りの絵第二集」
無言館の詩 戦没画学生「祈りの絵第三集」
第二無言館から徒歩15分、前山寺山門脇に夭折の画家の館「デッサン館」があります。山門前にデッサン館バス停も。
無言館の方が圧倒的に展示数が多く迫力もありますので、こちらを先に見た方が良いかもしれません。
2017年04月23日
憲法映画祭2017@日比谷図書館地下ホールの紹介
テーマ「今は、もう“戦前” なのですか? 」
憲法施行70年の今年、憲法記念日前の二日間。戦争と憲法の“いま” を考えます。
と き:4月29日(祝)30日(日)
ところ:日比谷図書文化館・コンベンションホール
主 催:憲法を考える映画の会
http://kenpou-eiga.com/
4月29日(祝)
「ドイツにおける戦争責任」
10:30〜11:10 『意志の勝利』(1934年・ドイツ)*ナチス党大会の第一日目のみ上映
11:20〜13:30 『白バラの祈り ゾフィー・ショル最期の日々』(2005年ドイツ)
13:40〜14:20 『夜と霧』(1955年・フランス)
14:30〜16:40 『顔のないヒトラーたち』(2014年・ドイツ)
4月30日(日)
「戦争と日本国憲法」
10:30〜12:20 『戦争しない国 日本』(90分・2006年・日本)
12:40〜14:20 『大東亜戦争』(98分・1968年・日本)*この作品のみ入場無料
14:20〜15:00 お話「報道の欺瞞と“いま”(仮題)」金平茂紀さん(ジャーナリスト)
15:10〜16:40 『天皇と軍隊』(90分・2009年・フランス)
入場料:1日券一般1500円 学生500円
2017年02月22日
「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の目」@世田谷美術館
2017年01月16日
林えいだい82才〜癌を抱えながらもあの時代の史実を徹底的に聞き取り調査、記録する
82歳という年齢で悪性の癌の治療を続けながらも、現場に足を運び、史実を追い求め続けている。そんな林が作家人生の集大成として取り組むのが、旧日本軍の特攻作戦の影で若い兵士が殺された事件の裏に隠された、民族差別による冤罪疑惑の真相だった。
監督は戦争をテーマにしたドキュメンタリー番組を数多く手がけたRKB毎日放送のディレクター、西嶋真司。朗読を田中泯が担当。
前売りチケットを買いました。 公式サイト
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2017年01月09日
元慰安婦の皆さんは受け入れてくださったけれど、慰安婦像の撤去は別問題。
慰安婦像を設置しているは韓国政府ではない。韓国の民間団体、地方自治体、更に外国の地方自治体だ。フランスのルモンドのによると、慰安婦像は韓国内に20、外国に10、設置されている。日本の圧力で今回の慰安婦像を撤去させたとしても、韓国政府にそれら全部を撤去させ、今後も設置させない権限はない。日本政府は撤去させるという約束だというが、韓国政府にとっては努力義務でしかない。
ルモンドは今回のきっかけは稲田防衛大臣の靖国参拝だったという。慰安婦についても、「『慰安婦』いわゆる性奴隷」というような表現される。これらが欧米の共通認識なのだ。
元慰安婦の皆さんが10億円を受け入れてくださったことで慰安婦問題は解決したと言っていいだろう。しかし、慰安婦像は日本による植民地支配の屈辱の象徴になっている。「撤去しろ。撤去しろ。」と強く要求しても問題は解決しない。稲田防衛大臣の靖国参拝のような愚かしい愛国心、強がり言動が被害者の屈辱の記憶を思い出させ、怒りを呼び起こすスイッチになる。日本が加害国であった歴史は消えることはない。私達は被害を与えた方たちへの謝罪の気持ちを忘れず、日韓の交流を深め、韓国民衆が慰安婦像撤去を受け入れてくれるのを待つしかないように思う。
ルモンドの記事のことは内田樹さんのリツートで知ったのですが、その後、内田樹さんがルモンドの記事を日本語に訳してブログ内田樹の研究室に載せてくれました。是非、読んでください。
2017年01月02日
靖国神社とは「神社」ではなく、明治政府がつくった「思想喧伝の施設」です。この事実をご存知ですか?
靖国神社は、明治政府が明治2年につくった「東京招魂社」という【政府神道】の施設で、従来の神道思想(各地にある神社)を否定し、1853年のペリー来航以来の〈維新革命側の兵士のみを祀る施設〉です。10年後に名称を神社と変えましたが、その思想は、実に恐ろしいものです。兵士たちは、このような天皇現人神という国体思想の施設に祀られていたのでは、永遠に浮かばれません。もちろん彼らの御霊は、それぞれの家族の元にあり、天皇現人神というカルト宗教の場にはありません。こういう異様な戦前思想の反省がないならば、日本の政治的社会的営みは、すべて砂上の楼閣です。あまりに当然の話です。
以下は、靖国神社の理論的重鎮である小堀圭一郎 東京大学名誉教授の談で、靖国神社の売店で平積みで売られている宣伝用パンフレットからの抜粋です。
「 靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側(天皇)のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。
この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。
靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。
あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。
実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。
だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」
(1999年8月 小堀圭一郎・東京大学名誉教授)
また、靖国神社の遊就館では、明治以降の日本の戦争はすべて聖戦である、との映画をエンドレスで流しています。
(※もちろん、現天皇の明仁さんや皇后の美智子さん、皇太子夫妻は、このような思想を認めていません。)
武田康弘(元参議院「行政監視委員会調査室」客員ー日本国憲法の哲学的土台を講義)
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靖国神社の徳川宮司の発言が波紋−−パンドラの箱を開けた!
2016-06-26 | 学芸
以下の週間ポストの記事は、極めて重要です。
こどもたちの教科書にある明治維新の項目は、ひどく偏っています(例えば、NHKの歴史番組・ヒストリアでも伝えている伊藤博文の犯罪=国学者の暗殺、建造中の英国公使館焼き討ち=全焼、長州藩金からの多額の公金横領にはまったく触れず、聖人のごとく扱う)ので、公平・公正な目で日本史を見直し、単純な天皇史観から脱しないと、いつまでもわが国は、精神の後進国に留まります。
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※週刊ポスト2016年7月1日号
【靖国神社の徳川宮司の発言が波紋】
2015年09月02日
広島、長崎の原爆被爆者がノルウェーでのノーベル平和賞授賞式に招待
以下は共同通信
広島、長崎両県の被爆者代表が、12月10日にノルウェー・オスロで開かれるノーベル平和賞の授賞式に招待されたことが31日、分かった。被爆者の式典参加を求めてノーベル賞委員会と交渉してきた「広島・長崎被爆者プロジェクト」代表の阿部憲仁桐蔭横浜大准教授が明らかにした。
阿部准教授は理由について「被爆者は核廃絶運動の最大の貢献者。世界の注目を浴びず、消えていくことへの焦りが委員会側にあったのでは」としている。被爆者団体は平和賞の候補とみられているが、現在は選考作業中で、招待と受賞可能性との直接の関係はない。
2015年08月06日
ぼくは満員電車で原爆を浴びた
被爆しながらも生き残り、あの不幸を二度と繰り返してはならないと、悲惨な体験を語ってきた「原爆の語り部」のみなさんもご高齢になりお亡くなりになっています。この少年も今年は81才でしょうか。
原爆の語り部がみんな死んでしまったら、原爆をの悲惨さを語れる人がいなくなったら、原爆の惨劇も忘れ去られなかったことになってしまう。そんな思いで語ってきたものを本にして残すことにしたのだそうです。
児童書として作られていますが、大人の本としても読めるレベルになっています。読み進むのが辛い本ですが、多くの人に読んでいただきたい本です。
2013年7月の出版です。店頭にはないと思いますが、アマゾンサイトなら購入できます。
図書館にもあるのではないでしょうか。
2015年07月07日
今、なぜ真珠湾攻撃を学ぶか「日米開戦の正体」孫崎亨
日露戦争から真珠湾攻撃までの日本を、後世の人間による「後知恵」ではなく、当時の人々の生の声で語ってもらい、他にも選択肢があったのに、なぜ真珠湾攻撃を選択したかを考えようという本です。
日米開戦当時のアメリカの工業生産力は日本の10倍、少し頭を使えば壊滅的な結果になることは日本人にもわかるはず、それを国家の中枢にある人たちは「民主主義国家の米国はは長期の戦争に耐えられれずに途中でやめる。」という詭弁で日本を破壊に導きました。
今の日本はどうか。
安倍首相は「戦後レジームのからの脱却」とか「日本を取り戻そう」と言います。戦後の日本はそんなにひどい国だったでしょうか。国民が真面目に働いて経済を復興、発展させ、70年も戦争がなく、長寿で、世界から信頼されています。そういう今の日本を否定し、日露戦争から日米開戦に至る日本の何処に戻ろうというのでしょう。
原発⇒国民の大半が反対しています。福島原発の事故処理の見通しも立っていません。安部さんは詭弁を使って再稼働を急がせます。
TPP⇒これも少し学べば、世界規模の企業にとって都合がいいだけだとわかります。TTPのルールが日本の法律より上になり、違反すれば多額の損害賠償金を請求され、長年培ってきた日本の食文化も健康保険制度も壊れかねない制度です。
集団自衛権⇒憲法学者のほとんど、歴代の内閣法制局長官までも憲法違反だといっています。国民の大半も反対しています。それでも、安部さんが勝手にアメリカに約束した夏までに、数の論理で成立させようとしています。
日米開戦という史上最悪の愚策は日露戦争の勝利から始まった。
なぜ、日本は勝てる見込みのない闘いを仕掛けたのか?
この本に登場する人々の言葉が教えてくれます。
2015年02月18日
フィリピン・ミンダナオで戦闘が勃発 求む、緊急支援!
>政府との和平交渉を推進しようとしているMILFモロイスラム解放戦線と、そこから分離して、和平交渉を拒否して あくまでミンダナオの独立を求めて、戦闘を続けようとする、BIFFバンサモロイスラム自由戦士との内部抗争。
>拡大の危険も大きいので、住民は、急きょ町に近い場所に避難した。
国軍は、様子見をしている状況で、参戦はしていないが、 国軍が参加するとなると、状況は良くない
・・・・・
当ブログでもご紹介したミンダナオで平和構築活動として子供図書館を運営されている松居さんが、現地調査を兼ねて炊き出しに行き、難民の状況をサイトで紹介しています。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanewsdaiary.html
難民がまだまだ増えそうな状況。
NGOの支援は調査が入ってからになり時間がかかるそうで、松居さんが 「緊急支援の自由寄付願い」をされています。
1万円で、1ロール100メートルの シートが買えます。5メートルで切っていくので20枚がとれ、20家族を救えるのだそうです。